第11話『サマー・パニック』

「暑いなぁ…」
 言いたくもないが口をつくこのセリフ。みずきも額にたまる汗をぬぐう。
 七月だけにとっくに衣替えは済んでする。半そでのスクールブラウスにジャンパースカート。それが無限塾の女子夏服である。
 みずきも例外でなく着用していた…と言うか不本意ながらせざるをえなかった。
(こんなに胸が目立って…腕の細さも半そでだと良くわかるし、ますます女にしか見えない…)
 低い背丈。豊かな胸。大きな臀部。相対的にくびれて見えるウエスト。甲高い声など『女の記号』は山ほどあるのでいまさら…ではある。それでも悪あがきをしてしまう。
「思うんだけどさ…若葉なんか未だにセーラー服じゃん。おれも特例で別の制服でも」
 言外に男子用を望んでいる。それを知ってか知らずかいじわるな笑みを含んだ七瀬の切り返し。
「どこのがいい? 青葉台はセーラー服ね。美空は夏でもベスト着用よ」
「……そう言えば校章さえ無限塾ならあまり拘らないんだっけ(もともと不良が多くて改造制服なんかつけてるせいで)。そのくせ女子はスカートが義務なんだよな。でも…ま…このくそ暑さで長いズボンは確かにうっとおしい。蒸れるし。そう考えるとスカートも悪くないな」
「そんなに蒸すの?」
 七瀬はほとんどパンツルックはない。ちなみ真理は半々だが、パンツルックのときはぴったりした物を履く。
 姫子は和服かロングスカートでやはりパンツルックはない。
 綾那の場合はボーイッシュな割りにひらひらした物を好むのでスカートが多い。ズボンのように見えるものといえばキュロットくらいだ。
「ああ。涼しいミニスカートは夏に関してはいいな。女になるとすね毛もなくなるから汗もたまらないし」
「うーん…でもねぇ…ミニスカは痴漢も誘いそうで怖いのよね」

 のん気に会話しながら登校すると…綾那が上条にしがみついてないていた。上条もいつものように邪険にせず優しく髪を撫でていた。
 あまりに珍しいのでつい揶揄してしまうみずき。
「おいおい。朝っぱらからラブシーンかよ」
 これまた珍しく困ったように真理。そして姫子が事情を説明する。
「いや…それがさ…綾那のやつ」
「痴漢さんにお会いしたらしくて」
 世田谷区在住の綾那は電車で登校してくる。その満員電車で被害にあった。
 満員を利用して密着して背後から抱きしめ尻を揉まれた。さらに
「ひどいんだよ…なんて言ったと思う…『胸ないな』だよ。あんまりだよ」
 どうやら痴漢その物の被害と言うよりそちらに憤慨しているようである。泣き声で言う。
 十郎太はなだめ方がわからず黙っている。榊原に至ってはむしろ痴漢の心理の方が理解できてしまう為あえて沈黙していた。
「ふーん。でもさぁ…ただ触られただけだろ?
 無神経なみずきの発言。これには傍観決め込んでいたほかの女子が黙ってない。
「ちょっとみずき!! あんたそれでも女?」
 菊地志保子。池澤春華。富島真知子の3人が詰め寄る。これに圧倒されてさすがにみずきも気後れする。
「そ…そんなこと言われてもオレは痴漢なんてされた事ないし」
「例えなくてもそれがどれだけ嫌かわからない?」
「信じられないわ。あんた本当は男なんじゃない」
(ご名答)
 もちろん声には出さないで心中でつぶやく。
「男だって赤の他人に…ううん。知ってる相手でも勝手に体触られたら嫌じゃないの?」
「それなんだ…不思議だよな。女は女同士だと平気で抱き合ったりするのに、相手が男だといきなり嫌な顔するし…」
 本来は男であるみずきにそれを理解するのは無理な相談であった。
 七瀬。真理。姫子は女として怒るクラスメイトの気持ちは理解できるが、みずきの事情も知っているのでどちらにも荷担せず成り行きを見守っていた。
「でもさぁ。やっぱ大騒ぎするほどのもんか。満員電車じゃ体が触れ合うのは仕方ないし。案外そう言うのを勘違いしているんじゃない? いわゆる自意識過剰で」
「なんですって」
 さらに眦を上げる3人。まったくもって火に油である。助け舟を出したのは榊原。
「いや…赤星の言うことももっともだ。接触すなわち痴漢では男が圧倒的に不利だ」
 ぐぐっとこぶしに力を込めて力説する。助けられているのについ突っ込んでしまうみずき。
「…やけに熱心だけど…身に覚えがあるのか? 榊原」
「いやあ。そんなことはないさ。ははははは」
 妙に空々しい笑い声だった。追求しても仕方がないので話を戻す。
「とにかくさ。女ももっと広い心であんまり騒ぎ立てないほうがいいと思うぜ」
「ひっどーい。みーちゃん。胸がないなんて言われてだまってるの? いくら男の子だからって
「わーっわーっわーっ」
 あわてたみずきに口をふさがれる綾那。
「なに?」
 事情を知らない女子が反応するがごまかす。
「『男の子みたい』はないだろう。若葉」
 論争は続いていたがみずきの女と思えないがさつさは知れ渡っていたので、それほど不思議には取られずホームルーム前にうちきられた。

 1時間目。ホームルームの時間だが現れたのは氷室響子であった。
「中尾先生は今週は研修のためこちらにはいません。ホームルームは私が替わって行います」
 ざわめく一同だが大半は歓迎ムードである。美人教師が代行と言うスケベ根性と言うより本来の担任。中尾勝がその陰鬱さで嫌われているのだ。

 横浜。中尾の研修先はここであった。
(横浜か…終戦直後にいたこともあったな)
 彼が『人間のまま』なら辻褄は合う。もちろんただそれだけしか思わない。
 人を殺すことを趣味とする中尾…否。その魂を追い出し肉体を奪った斑信二郎は。
(さて…とりあえず宿舎になるホテルには入らねばなるまい。暇があったらちょっと…)
 彼の暇つぶし。それはパチンコでも散歩でもない。「殺人」なのだ。

 ホームルームも終わりに近づく。響子は礼をして終了としようとしたが思い出して付け加える。
「そうそう。みんな。体育の藤宮先生の伝言よ。明日の体育は水泳と」
 歓声が上がる。猛暑続きで歓迎だったのだ。一部を覗いては。

 放課後。真理がみずきと七瀬に「帰ろうぜ」と声をかけるが二人とも暗い。
「どーしたんだよ」
「真理ちゃん…ううん。なんでもないのよ。なんでも」
「そうそう。なんでもないぜ。なぁ七瀬」
「そうよねみずき」
 妙に空々しい二人であった。
「いやあ。しかしやっとプールだな」
「先週からのはずが三日すべて大雨で流れたからな」
 榊原が嬉しいのは猛暑から逃れられるだけではないだろう。そしてそれがみずきを憂鬱にしている。
(とうとう着るのか…あれを…)

 放課後。みずきと七瀬は無言で駅まで来た。事情は違うが二人とも翌日の水泳で気が重くて喋る気になれなかった。
 電車も悪いことに満員だった。冷房も焼け石に水という感じの蒸し方だ。さらに次の駅で降りる客と乗車する客が激しく二人は引き離された。
(まぁいいか。降りるときにで…ひっ)
 みずきは思わず息を呑む。尻のあたりに男の手の感触。
(満員だからな…仕方ないな…うん。おれは男だ。こんなことで騒ぎやしない)
 ところがその手はまるでみずきの尻の感触を楽しむように動いてきた。
(ちょ…ちょっと…満員で密着したにしてもその動きは…ああっ)
 さらに『手』はスカートの中にまで侵入してきた。こうなるとさすがに痴漢確定である。だが
(声が出ない…いざとなると…なんだか怖い…ちょ…そんなとこにまで)
 太ももの内側を指が這う。男のときには一度も感じたことのない妙な感触が全身を駆け巡る。もう少しで『声』が出かかる。だが
「そいつ痴漢です」
 いつもは落ちついた七瀬の声が甲高く響く。
 引き離されたみずきの様子を見たら、顔を赤らめてしかも涙まで浮かべていたので異変に気がついた。
 このあたりは女ならではだがとっさに状況を悟り大声を出した。
 さすがに満員電車で格闘もできないしマリオネットも使えない。
 ところが痴漢は電車のドアが開いた途端に逃げ出した。不思議に誰も逃走を妨害しなかった。女性客も見てみぬふりだ。
「大丈夫? みずき」
 なんとか満員の中を縫ってみずきのそばに来た七瀬がいたわるように言う。
「…七瀬……」
 真っ赤な顔をしたみずきの目が見る見るうちに潤む。大粒の涙を流す。

 みずきたちの家からの最寄駅。駅員。井之上鷹志は困っていた。
「えーとですね…痴漢と言うのはすりと同じで現行犯でないとだめなんですよ。それと被害者だけじゃ成立しなくて」
「なんだって? あんなひどい目にあったのにお咎めなしだっていうのか? 痴漢なんて許せない。人類至上最悪の罪だ。見つけたらぶっ殺す」
 一通り泣いたら今度は憤慨してきた。とりあえず泣き寝入りはする気はなかった。
 本当の女性だと面倒とか相手がつかまってないとか、何といっても人にこの経験を喋るのが嫌で泣き寝入りしてしまうようだが、みずきの場合ここでは男の要素が働いた。
(今朝と言ってることが全く逆じゃないのよ…)
 苦笑する七瀬。
(でも気持ちはわかるな。痴漢その物はあったことないけどお風呂覗かれてた気はするし…うん。そうね。みずきが可哀想だわ)
「駅員さん。何とかなりませんか? 痴漢を野放しにしていたら電車に安心して乗ってられませんし」
 七瀬もみずきの助けに入るが駅員はさらに困ってしまった。
「そんなこといってもね…それじゃもうじき女性警察官が来ますから、被害はそちらに仰ってください」
「あんたじゃだめなのか?」
 この発言には井之上も驚いた。
「そんな恥ずかしいことを男の私に話すんですか!?」
「誰でも構わないよ。あーむかむかする。誰かにぶちまけないと気分悪い。それじゃ行きますよ。まずは…」
 受けた被害を冷静に思い浮かべようとするが冷静になどなれない。段々八つ当たり的な思考が出てくる。
(この駅員。男だもんな。こんな真似されたことないわけだし…それなのに話してわかってもらえるのか。この屈辱。それに)
 本来なら同性である。女に話せないことも話せそうな物であるが、現在の体が女のせいか思考が逆になっていた。
(だめだ…恥ずかしい…女相手なら…)
 気づいてはいなかったが…みずきこの駅員を『異性』とみなしていたことになる。
 結局のところ話すのはやめた。気まずい沈黙が続く。
(うーん…何度やっても気まずいんだよな…)
 駅員はそう思っても表情にも出さない。救いの女神が来たのは5分後だった。
「お待たせしました。警視庁練馬署から来た玉川です」
「平松です。そちらのお嬢さんが被害者ですね」
 こうして女性警察官相手に七瀬ともども被害状況を話すみずきであった。

 家に帰りつくとみずきは即座に熱いシャワーで男に戻る。
 痴漢に障られた部位を改めて自分で触れてみる。
(全然違う感触だな…自分で触っているせいか余りあんなおぞましい感じじゃない)

「痴漢にあった?」
 夕食の場でそれを告げるとさすがに驚かれた。女の姿だったら別の反応だったかもしれないが。
「お姉ちゃん…それって自慢? ちゃんと女にみなされているって自慢してんの」
 女になりたくてもなれない薫は、みずきが女ならではの経験をするたびにやっかみの声をあげる。
「油断しているからだ。馬鹿者」
 端正な顔をして相変わらず容赦ない父・秀樹。
「兄ちゃん…あれ。姉ちゃんなのかな? 大丈夫?」
 まともに心配してくれる末っ子に母性本能が(笑)刺激されるみずきであった。
「みずきちゃん…」
 瑞枝に至っては涙を流していた。これには一家全員慌てた。
「かわいそうなみずきちゃん。でも…世間の人にも可愛い女の子と認められたのね
「あのね…」
 相変わらずの思考法に毒気を抜かれたみずきであった。

 夜。ベッドの上にあぐらをかくみずき。ため息をつく。ベッドの上にはスクール水着が。
「まいった…とうとうこれを着ることになったのか。今までのスカートやブラウスは『女装』と無理やり思いこんでいたけど…これだと自分が『女』と思い知らされるよなぁ…みんなにも見られるし……みんな?」
 ここで一つ気がついた。
「ちょっと待てよ。電車の中でスカート履いててあんな目にあったんだ…
 スカートなんかより露出のでかいこんなの着たら…男たちが狼みたいになるんじゃ…ましてや水着とくりゃ体にぴったりフィットして…ほとんど裸だぞ。こんなの着て『男の前』に出るのか」
 現実に襲われる性別でもあることを思い知らされた瑞樹は、思考法も少し女に近寄っていた。

 隣の家の七瀬も水着を前にため息をついていた。
「やだなぁ…ちょっと太った気がするし…私泳げないから水泳は嫌なのよね…泳ぐくらいなら一人でマラソンの方がましだわ」
 炎天下のマラソンの方がましと言うくらいだから相当な物である。
 太い太いと本人は気にしているが十代特有の丸さだということを付け加えておこう。

「はぁ。困りましたわ。水泳の授業ですか…」
 屋敷の自室から月夜を見上げて姫子はため息をつく。彼女はきちんと泳げる。ではその憂いは?
「姉様。どうなさいました」
 いかに良家の令嬢達といえど姉妹である。互いの部屋をノックなしで行き来できた。夜中でも妹の来室は歓迎だった。
「愛子さん。実は明日は水泳の授業があるのです」
「いいなぁ。暑いからあたしもプールに入りたい」
 妹は姉ほど丁寧な口の利き方をしていない。
「それは良いのですが…困ったのは無限塾では男女ともに水泳の授業を行うようです」
「なるほど。あたしが通っている中学…つまり姉様の母校は男女別ですものね。あのときは十郎太様も警護に苦労なさってましたわね」
「それが申し訳なくて共学の無限塾に進学したのは良いのですが…殿方の前で裸同然の姿になると思うとさすがに気後れが」
(待てよ…いくら堅物の十郎太様でも、姉様の水着姿を見たらくらくらするかも…これは一気に仲が進展するかも)
 愛子は姉と十郎太をともに敬愛している。できることなら結ばれないかと考えている。
「いいじゃない。姉様。もう子供でないところを十郎太様達に見せつければ」
「でも…やはり気後れが…」
 参考まで無限塾の水着はダサいと言えそうなほど露出は低い。
「いいからいいから。明日は水着をさっさと着る着る」
 強引に押しきられて約束させられてしまった。もっとも授業だけに着ないわけには行かないので背中を押してもらったと言うところか。

 同じころ…十郎太も水泳用のパンツをみて考えていた。
「ぬぅ…大和男なら泳ぐのはふんどし決まっておろうに…だが倣いとあらば仕方ない」

 綾那は綾那で…
「はぁ…ホントにつるつるのぺたぺた…痴漢にまでバカにされちゃう発育不良なのに水着なんて…」
 七瀬とは正反対の理由で悩んでいた。
 済みきった月夜は翌日の快晴を約束しているかのようであった。

 自宅のベッドで既に眠りについている榊原。だがそれが突然跳ね起きる。ビッグショットがゆっくりと消えて行く。
「今の予知夢…あの位置は女子更衣室の外の窓。誰かが覗いているヴィジョンが…おのれ。この俺を差し置いて村上のナイスバディ(死語)を見せてたまるか。絶対に防止してやる」
 いささか奇妙だがとにかく除き魔を退治してくれるなら文句はあるまい。もっとも本人がなりかねないのだが。

 翌日。みずきは登校するなり綾那に謝った。
「ご免。若葉。前言撤回だ。痴漢は最低の犯罪だ。みんな死刑にしてやれ」
「えっ? みーちゃんまさか」
「ああ。やられて初めて女の気持ちが理解出来たぜ。確かにありゃあ許せない」
 この豹変に真理も苦笑していたが、痴漢にあっておぞましい気持ちと言うのは理解できたので突っ込みはしなかった。
「おいおい。そりゃあ極端だろう。お前だって目の前に可愛い女がいたら感触を確かめてみたくなるだろう」
 あまりの豹変が理解できなかったのは榊原だ。優等生の仮面をつい外してしまう。
「さかきばらくんのえっち」
「そうよ。変態よ」
 しまいには女言葉をさらっと使うほど女性側によっていた。それだけ女の不快の気持ちが痛いほど理解できてしまったのだ。

 水泳までににわか雨が降るのを期待したが雲一つない快晴。みずきは完全に腹をくくった。
「ああ。こうなったら思いきりプールを楽しむとするか。ポジティブシンキングってヤツだぜ。行こうぜ。七瀬。姫ちゃん。村上。若葉」
 馴染みの女子たちに声をかける。だが四人は固まっている。
「ん? どうしたんだ」
「そ…そうよね。みずきは女子更衣室で着替えないといけないものね」
「いくら口では『おれは男だ』と言っても男子更衣室で着替えさせるわけにゃいかねーしな」
「おれを野獣達の群れに放りこむ気かよ」
 一度女性として被害にあったためかそう言う発想が出てくるようになっていた。
「お気持ちはわかりますが一緒に着替えるのはいささか」
「なんで? 体育のときは平気じゃない。もうなれたし」
「だって…水着なんだよ。裸なんだよ」
「あ゛!?」
 なまじ女性の立場に立ったので失念していた。水泳の着替えでは肌の露出が通常の体育以上と言うことに。
(そりゃ気後れするよな…裸…七瀬や村上の…)
 この辺りはさすがに『男の子』だったみずきであった。
 とにかく更衣室には行かなくてはならない。他の生徒は既に移動を済ませていた。

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