第20話『飛び込んできた天使』

 九月一日。
 北海道などではもう少し早くに始まるというが、都内にある無限熟は他の学校同様にこの日に二学期の始業式を迎えていた。
 六週にわたる長期休暇。級友たちは久しぶりの再会を喜んでいた。むろんあの面々も例外ではない。
「姫。久しぶりだな」
「お久しぶりですわ。真理さん」
「榊原。おぬしも壮健そうで何よりだ」
「お前…(いけねぇ。しばらく学校にいなかったから優等生ぶるのを忘れていた)君も元気そうで何よりだよ」
 榊原。真理。十郎太。姫子。そして上条。綾那。みずき。七瀬は九州旅行を一緒だったものの、ここしばらくは八人そろうことはなかった。
「うわぁーっ。志保ちゃん志保ちゃん」
 綾那が子供のように騒いで一人のクラスメートの女子に近寄る。
「どうしたの? 綺麗になって。あっ? ちょっとお化粧してない?」
「わっ。わっ。綾那っ」
 菊池志保子はあわてて綾那の口を手で塞ごうとする。間近でみると確かに化粧をしている。
「もしかして…好きな人できた?」
 自身も恋する少女ゆえに勘が働いた。志保子は赤くなってうなずいた。
「えーっ、何。シホ好きな人できたの?」
「うそうそ」
「聞かせて聞かせて」
 あっという間に女子に囲まれてしまった。「臨時記者会見」が始まる。しっかり綾那がインタビュアーだ。
「なるほど! 夏休みの間に何かあったのか」
「カズ…あんたが言うとなんかエッチくさいんだよな」
「でも本当にお綺麗になりましたわ。志保子さん」
 そうかと思えば…
「あれ? ひょっとして三浦?」
 恐る恐る上条は坊主頭の生徒に尋ねる。
 その生徒。三浦大樹はふてくされたように「そうだよ」という。
「どーしたんだよ…見事なリーゼントだったのに…」
「邪魔くさいのと願掛けで切った」
「願掛けですか?」
 興味を引かれたのか姫子が鸚鵡返しする。
「ああ。(生活指導の)藤宮のやろう。なんどもオレに説教しやがって」
 三浦はいわゆる不良生徒だった。それを藤宮博が熱血指導したのだ。
「あの野郎をぶちのめさなきゃ気がすまねぇ」
「藤宮殿はおぬしのためを思って鉄拳を振るったのではないか?」
「はいそうですかとなってたまるか。意地でも更正なんざしねぇ。仕返ししてやる。
 だがあの野郎に対抗するには体力不足。
 そこで酒もタバコもやめたし、パチンコ屋に入る時間を走りこみやトレーニングに当てたぜ。意外だったぜ。汗をかくのがあんなに気持ちいいなんてな」
 「はぁ?」と言う表情の上条。三浦はさらに続ける。
「ここ最近は早起きしてジョギングしているが、車も少ないだけに空気が綺麗で気持ちいいぜ」
 爽やかな笑顔で語る。
「君…それもう十分に更正してるよ…」
 さすがの上条も半ばあきれ気味に言う。
 40日にわたる長期休暇は日焼けの度合い以外にも、さまざまな変化をもたらしていた。再会した面々はこの日はそれに驚くだけの日になりそうだった。
「静かにしろ」
 まったく焼けない顔の色で担任が入ってきた。
 簡単にホームルームを済ませてから講堂へ。始業式を終えてまたホームルームで今日は終わりの予定だった。
 移動する前に出席を取る。男子全員出席。
「続いて女子。赤星。…赤星。いないのか?」
 珍しく遅刻だ。出席確認を続ける。
「及川…及川七瀬。なんだ。及川もか」
「ひゃあー。あの二人とうとう百合の道に走って逃避行?」
 誰かが無責任に言うと笑いが起こる。
「誰がユリだって」
 まごうことなきみずきの声。勢いよく扉が開く。みずきの後ろには七瀬が付き添うようにいた。
「あ…赤星…」「みずき…」
 男子。女子双方から驚きの声が上がる。中尾も驚いている。男子の誰かがつぶやく。
「確かに…レズにゃあれは無理だ」

 みずきは赤ん坊を抱えていたのだ。当然のように声が上がる。

子連れヒロイン(?)

このイラストはOMCによって製作されました。クリエイターの参太郎さんに感謝。

「いつの間に産んだんだよ」
「…産んでねぇ…」
 力なく答えるみずきの頬が赤いのは日焼けのせいとも思えない。傍らでは七瀬が所在無げにしていた。
 とりあえず中に入り、遅刻の理由と事情の説明で二人が語りだす。

 八月三十一日。二人が町外れの教会から戻ってみると喫茶レッズは大騒ぎであった。
「どうしたんだ?」
「あら。みずきちゃん。お帰りなさい。大変なのよ。この子が」
「この子?」
 覗きこむとすやすやと眠る赤ん坊が。ピンクの産着で女の子かと思わせる。
「キャー。可愛いーっ」
 七瀬が声を上げる。その目が輝きだしている。母性本能がただでさえ過剰な娘である。赤ん坊など見た日には抱っこしたくてたまらない。
「うむ。トイレの中に紙袋がありその中にいた。幸い眠っているだけだが…」
「えっ? 捨て子」
「そうなのよ。掃除しに入ったら紙袋があって『忘れ物かなぁ』と思って中を見たら赤ちゃんが」
 現在抱きかかえている薫が言う。口調は困っているがまんざらでもない様子なので、肉体は男でありながら母性本能があって、それが刺激されているのかもしれない。
「でも、どうしようもない事情だったみたいね。ほら。こんなメモが」
 携帯電話全盛だが喫茶レッズには公衆電話がある。その傍らのメモをつかったようだ。それには
「ご迷惑をおかけしますが娘をかくまってください。名前は奈緒です」と短く記されていた。
「女の子か。それにしても『預かって』じゃなくて『匿う』というのはどういうことだ」
「私が知るか」
 さすがの赤星秀樹。そしてビッグワンもこの飛び込んできた天使には参ったようだ。思わず大きな声を上げる。それで目が覚めた奈緒はとたんにぐずりだす。
「わっわっ。パパが大声出すからよ」
 抱きかかえていた薫があやしにかかるがまるでダメ。
「薫ちゃん。私にやらせて。こう見えても赤ちゃんの扱いはうまいのよ」
と、豪語する七瀬だが効果なし。
「えーっ。そんなぁ。子供の扱いには自信があって将来は幼稚園の先生になろうかと思ってたのに…」
 自信喪失の七瀬から瑞枝が受け取る。ところが
「あらあら。困っちゃったわねぇ」
三人を産み育てた瑞枝ですらなだめられない。ほとほと困り果て苦し紛れにみずきに渡したとたんだ。
「わっ? 泣き止んだ…」
 ぴたりと止まったのである。まるで安心したかのように。
「どういうことだよ…みんなこの子の母親じゃないからこの子が不安がって泣くのはわかるとして…どーしてオレで落ち着くんだよ」
 みずきが甲高い声を張り上げても奈緒はまるで動じない。すっかり安心しきっている。まるで本当に母子のようであった。

 警察に届けようかとも思ったが(実際は秀樹が警察の人間なのだが)瑞枝と薫が「かわいそう」と主張した。
「まぁ…むやみに警察沙汰にして、母親が出にくくするわけにもいかんか」
 さすがに勝てずそういうことに落ち着いた。

 奈緒が寝た隙に入浴した瑞樹だが、そのときにはまた火がついたように泣き始めていた。
「ああもう。しょうがないなぁ」
 タンクトップ姿で奈緒を抱き上げるが、今度はまったく泣き止まない。
 むしろ瑞枝に抱きかかえられた時のほうがおとなしいくらいだがそれでも泣き止まない。
「ひょっとして」
 意外なところから水が掛かる。三男の忍だ。
「忍っ。なにしやがるっ」
「ごっ…ごめん。でももしかしたら兄ちゃんが姉ちゃんじゃないとダメなのかと思って…」
「男でも女でもオレはオレだ」
 ところが女バージョンで抱っこした途端に泣き止んだ。
「ほら!」
「え゛?」
 推理的中で得意顔の忍と思わぬ展開に面食らうみずき。
 そこに妙に威圧的に腕を組んだ秀樹が近寄って言う。
「決まりだな。母親が見つかるまでお前が世話していろ」
「そんなぁ…やっと男の体に戻れたのにまたしばらく女モードかよ…」
 みずきの嘆きも無理からぬ話であった。

 そして九月一日。朝から大騒ぎしていた。やはり泣きまくっている。幸い前夜は泣きつかれたかぐっすり眠り夜泣きはしなかったが。
「もう。そうぞうしいなぁ」
 久しぶりに青いジャンバースカート姿になったみずきが襟足をゴムで留めながら居間に現れる。
「みずきちゃん。ダメなのよ。この子。オムツ替えても。それにミルクあげようとてものんでくれないのよ」
 ほとほと困り果てた瑞枝である。
「そうだ。兄ちゃん。やってみたら」
 忍の提案にとりあえずやってみたみずき。実にあっさりとミルクを受け付けた。まるで安心しきっていた。
「まぁ。やっぱりみずきちゃんがいいのかしら」
「……勘弁してくれよ……」
 うんざりといわんばかりのみずきである。
「お姉ちゃん。七瀬お姉ちゃんが来たわよ」
「わかった。今行く」
「待て」
 その肩を父親がつかむ。そして振り向かせると赤ん坊を渡す。とたんにぴたりとなきやむ奈緒。
「うむ。今用意させるから待っていろ。瑞枝。抱っこなりおんぶのしやすいようにしてやれ。薫。哺乳瓶を渡してやれ。私は事情を説明するため塾長に電話をかける」
「ちょ…ちょっと待て!? まさか…学校に」
「ああ。連れて行け。お前でないとミルクを飲まないのだ。このままでは赤ん坊にも良くない。大丈夫だ。このくらいのことは話が通る人だ」
「冗談じゃねぇ。そんなんできるかよ」
 朝っぱらから揉めたために遅刻したのである。

「と…まぁ。そういうわけでして、あたしじゃないとあやせないのでつれてきちゃいました。てへ」
 ぶりっ子最大駆使。さすがに自分でも無茶だと自覚しているらしく下手に出るが中尾には通じない。
「何を考えている。ここは教室だ。すぐに誰かに預けに…」
「その必要はない」
 いつもながら唐突に現れる塾長である。
「話は親御さんから聞いた。いずれは親となる身。これも社会勉強の一環とすればよい。子連れの授業。わしが許可する」
「しかし塾長。こんな状態では…」
「何か文句があるのか?」
「い…いえ…(くっ。どうしても威圧される。仕方ない。どうせたいした期間ではあるまい)」
 中尾…斑はこの相手に勝てないとわかっているし、相手は無限熟最高責任者である。不承不承でも従うしかない。

 始業式は大パニックであった。何しろみずきが赤ん坊を抱いて現れたのだから。
 正体が男と知るのはごく一部。大半の男子生徒はみずきの事を、勝気で口は悪いが愛らしい顔と声。グラマーな胸と腰。
 背丈が足りないのがむしろ可愛いという扱いだった。それだけに反響は大きい。
「そんなっ。俺たちのアイドルのみずきちゃんが子持ちだったなんて」
「ということは人妻…」
「ばかなっ。俺たちのみずきちゃんが生活に疲れた主婦だとぉっ」
「しかし『主婦』というとくたびれたさえないイメージなのに『人妻』というと何でこんなに妖しく魅了するのだろう」
「人妻…はぁはぁ」
「エッチなのはいけないと思いますっ」
「いや。エッチなのがいいと思うぞ」
「そうじゃない。エッチじゃなきゃいけないと思うぞ」
 完全にわけがわからなくなっていた。とどめが
おーっほっほっほ。一時の劣情に押し流されて身籠るとは愚かだわ。赤星みずきさん。あなたのような尻の軽い女性が坂本君にふさわしいと思って。
坂本君にふさわしいのはわたしのような完全無欠のお嬢様のみよ!」

 口元に右手を添えての高笑い。
「た…橘君」
 千鶴の「黄色い声」ならぬピンクの声にたじろいだのは他ならぬ坂本本人だった。
 隣で入来が「それじゃ北条のお嬢さんのほうがよっぽどふさわしいと思うがな」というが
「何かお言い?」
と、千鶴ににらまれ口をつぐむ。
 千鶴の姫子に対する対抗意識はすさまじいものがあった。
 とにかく講堂は大混乱。そしてみずきは反論も弁解もせずただ真っ赤になっていただけだった。

「おーっほっほっほっほ」

このイラストはOMCによって作成されました。クリエイターの参太郎さんに感謝を捧げます。


 ところが耐えていながらも子供を抱きしめる姿が女子の「母性本能」をくすぐる。
 そして男子の「萌え」をも覚醒させた。
「赦す。子連れでも可愛いものはかわいいんだっ」
「そうよ。こんなに一生懸命な親子の仲を裂く気?」
「おなかを痛めて産んだ子を引き離そうなんて悪魔のすることだわっ」
「いや。だから産んだのはオレじゃなくてね…」
 瑞樹の弱々しい反論もむなしく、全校生徒容認の子連れ授業となってしまった。

 教室に戻ってきたらきたで大変だった。クラスメートの女子からの「抱かせて」攻勢。一応は渡すが誰が抱いてもやはり泣くだけだ。
「あらあら。どうしましょう」
 大和撫子そのものの姫子もダメという時点で大半があきらめた。
「ボクちっちゃい子。好きだよ」
 といえどなつくかどうかは別問題。真理に至っては
「てめぇ。いつまでもピーピーないてんじゃねぇっ」と、怒鳴る始末。
「あーあー。もう。しかたないなぁ」
 榊原が訳知り顔で言う。
「それでは笑うものも泣いてしまう。いいか。女の子の扱いはだな」
「こら。0歳児にまで手を出す気か」
「そんなわけない」
 一応は抱いてみるがまるでダメ。
「拙者に務まるとは思えぬが」
 自信なさげな十郎太だが言葉どおりダメだ。一応だめもとで上条に渡すが
「子連れ…子連れか…元気莫大。アバレッ…
とかやってた時点で泣かれて結局みずきの下に戻る。ぴたりと泣き止むと「オオーッ」と周辺から声が上がる。
「やっぱり…あんたが母親なんじゃないの?」
「断じて違うっ」
 否定するのも疲れてきた。

「まったく。大変な目に遭ったぜ」
 ぼやくみずきは帰り道。現在はとある喫茶店にいるここでも奇異の目で見られていた。。
 無理もない。制服姿で赤ん坊連れはさすがに目立つ。
 これが私服ならまだ年の離れた弟なり妹のお守りと見られただろうが、制服はいやでも学校帰りを思わせる。その想像は当たっているのだが。
「お待たせいたしました。アイスコーヒー。二つ。アイスティー五つ。昆布茶がおひとつ。そして」
 ウェイトレスはにっこり笑って哺乳瓶をエプロンのポケットから取り出す。
「ホットミルクおひとつお持ちしました」
「無理いってすいません」
「いいえ。いいんですよ」
 立ち寄った理由は奈緒のミルクのためだった。適温となるとちゃんと人の手をかけないといけない。自宅に戻るまで持たなかった。だから頼んで暖めたミルクを入れてもらったのだ。
「ほら。飲みな」
 みずきは奈緒がミルクを飲みやすい体勢にして哺乳瓶を口に含ませた。ミルクが勢いよく飲まれていく。
「おー。うまいか。そりゃ良かったな」
 自然と笑みになるみずき。口調は「父親」だが
「みーちゃん…とっても優しい表情している…」
「そうですわ。本当にお母さんみたいですわ」
「またかよ。勘弁してよ」
 とは言うもののそれこそ女としての肉体が「母性本能」を刺激されたかあまり嫌がらない。
「強く生きろよ…母親が生きているならいつかは会えるぞ」
 真理が優しく言葉を投げかける。彼女自身が母親とすでに死別していて、ほとんど天涯孤独の身の上だけに捨てられた子供には優しくなれた。

 そしてそのころ
「まだ見つからんのか?」
 いすに腰掛けた年老いた男性がスーツ姿で立つ若い男に問いかける。
「はっ。足取りが途絶えてしまい…」
 スーツの男は恐縮して答える。どうやら老人の配下のようだ。
「急いでくれ。わたしももう長くはない」
 品の良い老紳士はそれだけ言うと視線をはずす。その先は若い男女の写真が。笑っている幸せそうな写真が。

「まだみつからないのか」
 同じころ。高級スーツに身を包んだ男が苛立ちを隠さずに言う。
「はっ。降りた駅までは特定できたのですがそこでPHSを捨てたらしく…」
「女のほうはどうでもいい。問題は赤ん坊のほうだ。そいつが俊一のたったひとりの子供。ババァはもうくたばっている。ジジイが死んで財産が行くのはこの赤ん坊。
だがいなければジジイの弟の息子であるオレにもいくらか来るはずだ。莫大な遺産。ガキなんぞに渡すか。
 孤児院とかじゃいつか探される。確実に殺せ」
 その顔は醜くゆがんでいた。

 とてもそんな男と血がつながっているとは思えないほど愛らしい寝顔で奈緒は眠る。醜い争いなど知らず。
 そしてその寝顔に心癒されるみずきたちであった。

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