第30話「本当の私」Part2   Part1へ戻る。

 冷たい土砂降りの雨の中。どこをどう走ったのか。本人にもわかっていない。
 ただいつの間にか駅にたどり着き、定期券を出して改札を抜けていた。
 昏い瞳をして全身ずぶぬれの女子高生に周辺も驚くが、係わり合いを避けて誰も声をかけなかった。

 無限塾。追いつけなかった七瀬は元の家庭科室へと戻ってくる。
「及川君。赤星君は?」
 愛の告白の最中だったが、このシチュエーションで返事を求めるほど坂本も馬鹿ではなかった。
 七瀬は首を横に振る。ふと床を見るとみずきのかばんが。落ちた拍子に折りたたみの傘が飛び出していた。
「この雨の中を傘も差さずに…及川君は濡れてない?」
 足の遅い七瀬が下駄箱にたどり着いたとき、既にみずきは校門を走り抜けていた。それで追走を諦めることに。

 雨足がまた強くなる中。みずきは濡れるままに放心状態で歩いていた。
 動物の「帰巣本能」にも似たものがあるのか。いつの間にか自宅に帰ってきていたが、ウィンドウの前でたたずむだけ。
「みずきちゃん?」
 気がついたのは瑞枝だった。大慌てで外に出ると愛娘を中に入れる。
「どうしたのよ? こんなに濡れて!? 傘は持ってたはずよ?」
 普段はおっとりしているが、さすがの彼女も思わず詰る口調になる。
「とにかくおうちに入りなさい。すぐにシャワーを浴びてらっしゃい。風邪を引いちゃう」
 だがもう遅かった。みずきがふらーっと力なく倒れたのだ。
「きゃっ?」
 瑞枝は反射的に支えて、額に手を当てる。
「…凄い熱! 大変だわ。あなたぁ。薫ちゃん。忍君。みんな来て。みずきちゃんが大変なの
 甲高い声に呼ばれた一家は、倒れているみずきを見て驚く。四人がかりでみずきを部屋まで運び込んだ。

 とりあえず瑞枝と薫で服を脱がせて全裸にする。
 体の水滴を取る前に男に戻そうかとも思ったが
「いや。暖めるのもよいが、この状態での変身は体力を消耗するし避けた方が無難だろうな」
 そういう秀樹の判断で女のままである。
 全身の水滴をふき取ったら、新しい下着を着せ(もちろん女物)厚手のネグリジェ(ピンクでフリルがふんだんに使われている)を着せてベッドに寝かしつけた。
「斉藤先生。すぐ来てくれるって」
 一家のかかりつけの医者である。受話器片手にいつになく真剣な表情の薫が伝える。
「そうか…」
 短く答える秀樹。
「一体…何があったんだ? この雨の中で傘も差さずに…」

 年齢55歳。眉まで白い老人だが、腕は確かな。そして口も堅い斉藤医師がみずきを診ている。
「肺炎とまでは行かなかったが、何しろ濡れすぎて冷え切った。体温が低下しているし、体力を消耗している。とりあえず注射をしたから、後は暖かくして寝せておけばよい。
病院で点滴を受ければもっといいが、あまり(変身体質を)知られたくないのだろう?」
「はい」
 この医師はみずきの体質を知っていた。ちなみに薫の正体も。
「だがな…身体的なものより何か精神的なものが原因と思うな。これは」
「雨の中にいたのもその『ショック』のせいと?」
 秀樹の問いに頷く斉藤医師。
「とにかく今は寝かせておきなさい。少々うなされるかもしれないが大丈夫。若いからすぐ治る。男の子に戻すのはそれからにしなさい。やはりこの状態での性転換は負担が大きそうだ。それに女の方が生命力があるしな」
 安心させるためかニカッと笑う。

「こんばんわ。みずきいますか?」
 喫茶店のほうに制服姿のまま七瀬が現れた。店番の秀樹が相手をする。
「ああ。すまないね。あいつちょっと風邪を引いてね。何を考えたか雨の中で傘も差さずに」
「…やっぱり…」
 なにしろ雨の中に飛び出させたのは半分は自分だ。
(ん?)
 七瀬の表情の変化を見逃さない。
「七瀬君。何か心当たりがあるのかい?」
 やんわりと尋ねる。だが七瀬は首を横に振る。
(言えない…とてもじゃないけど…)
 それに…みずきがどちらにショックを受けたのかが気になる。
 自分が先輩に告白されているのにショックを受けたのならいい。
 もしも…先輩が自分に告白していることでショックだったなら…
 策略とはいえど好意を示している。だが、演じ続けることで本当になっていたとしたら…

 世の中には男を愛する男。女を愛する女もいる。
 ましてみずきは体は女。肉体面で男性に惹かれても、同性愛よりはありえる話だ。
 この場合、精神的には完全に女とみなせるだろう。
 そんなことを肉親に伝えられるはずもなかった。

「ごめんなさい。心当たりはないです」

 言うとみずきの残したかばんを差し出す。
「みずき、これを学校においていって。それを届けに来ました。じゃっ」
 逃げるように七瀬は立ち去る。

 みずきはうなされていた。
 何度も何度も坂本が七瀬に告白した場面が浮かび上がる。
 そして二人は抱き合い、目を閉じて口を寄せる。
(やめてぇーっ)
 女のように叫ぶみずき。
(どうして…どうしてこんなに苦しいんだ? 先輩が七瀬に…それでなの? あたしの体を治してくれる可能性がなくなったから? オレの手から七瀬が逃げて行くから?)
 自意識が男のものと女のものが混濁する。考える言葉も男のものと女のものが。

(そうかぁ…先輩が本当に好きなのは七瀬だったのかぁ…はは。お笑いだ。先輩と仲良くなって、先輩の親父さんにオレを男に戻してもらおうと頼んでもらおうなんて…)

 坂本の父は遺伝子工学の権威。絶滅寸前の種の雌雄のバランスを調節する…性転換も研究に入っていた。
 それを人間に応用できれば…確かにみずきは打算で近づいた。だが…

(あたし本当に…計算づくだけで先輩に近づいたのかなぁ…こんなにショックだなんて…もしかしたら女として恋していたのかな…芝居じゃなく…本気で…)

(先輩と七瀬。お似合いかもな。ああ。どうしてこんなに苦しいのだ? 祝福してあげるべきだろう。それなのに…なんでこんなに胸が痛む…?)

 ここでは言葉として書いているが、実際は言葉にすらならない原始的なレベルの意識での自問自答。
 木曜に倒れ土曜までうなされ続けている。そして

(『男だから』…苦しいのかなぁ…男に戻ろうとし続けるから苦悩するのかなぁ…先輩があたしじゃなくて七瀬に好意を寄せていた。『他人』のあたしにそんな手間はかけてくれないショック? それならいっそ…)

(七瀬が…告白されたのがショックなのかなぁ…七瀬のこと、異性として意識していたのかなぁ…女同士なら苦しまないのかしら…それならいっそ…)
 精神的ショック。追い討ちをかける発熱。うなされ続けた中で選んだ『現実逃避』それは…









 日曜日の午後。未だ眠り続けるみずきを見守るように数々のぬいぐるみが。
 熊のぬいぐるみは綾那が誕生日プレゼントで贈ったものだが、それ以外は瑞枝が買い与えたものである。
 幼い頃の刷り込みのせいか男でありながら、ぬいぐるみが好きになってしまっていた。
 主人を励ますようにしているぬいぐるみたち。
「……う……」
 濡れタオルの感触でみずきは目覚めた。
「あら? 起こしちゃった? 大丈夫? 熱は下がったようだけど」
 タオルを換えていたのは母・瑞枝。
「あ…お母さん…」
 みずきはゆっくりと体を起こす。タイミングを合わせるように薫が洗面器を抱えて部屋に来た。
「お湯汲んできたわよ…って、お姉ちゃん。目が覚めたの? まったくもう。あんまり心配かけんじゃないわよ」
 湯気の立つ重そうな洗面器を下ろしつつ悪態をつく。室内着にいつものポニーテール。
「うん。ごめんね。薫ちゃん」
 やんわりと優しく言うみずきに面食らう薫。
「……薫『ちゃん』? なにそれ? 気持ち悪い。まだ熱あるんじゃないの?」
 肉親ならではの容赦ない混ぜっ返し。とりあえず入ってきたドアを閉じる。

「はいはい。お話は後にしましょう。起きたのならちょうどいいわ。体を拭いてあげるからネグリジェ脱いでくれる?」
「…うん…」
 恥ずかしそうにみずきはネグリジェを脱ぐ。現在の彼女が纏っているのはショーツ一枚のみと言うことになる。
「凄い汗だものね。これは洗濯して、こっちに着替えましょうね」
 白いパジャマ。花柄の上にフリルとレース。女物のパジャマを見せる。
 もともと瑞枝がみずきのために買っておいたが(ちなみに着用していたネグリジェも)当然みずきがそれをきるはずもなくタンスの肥やしになっていた。だから本来はみずきの物なのだが。

「わぁ。可愛い。それ着ていいの?」

 薫ではない。みずきの発言である。表情を輝かせて言う。
「……本気で…まだ熱あるんじゃないの?」
 いつもなら「そんな女っぽいのが着られるか」である。
 それが「可愛い。着ていいの?」である。
 不審に思うのも当然だった。
「もちろんよ。だから体を拭かせてね」
 瑞枝は喜んでいたのだが…

 近寄る足音。この家ではあとふたりだけ。
「みずきの様子はどうだ?」
「兄ちゃん元気になった?」
 ノックもなしにいきなりドアを開けたのが父・秀樹。そして末子・忍。その姿を見たみずきは大きく目を見開き
「きゃーーーーーーーっっっっ。エッチ」と甲高い声で叫んだ。

少女の目覚め

このイラストは参太郎さんによって製作されました。感謝の意を捧げます。


「え…エッチ?」
 戸惑う秀樹たちを他所にみずきは毛布で胸元を隠す。そして赤い頬で言葉を浴びせかける。
「信じられない。女の子の部屋にノックもなしに入るなんて。しかも着替え中なのよ。いくらお父さんでも許されないわっ。
 出てって。女の子が着替えてんだから男は出てってよっ」

「な…なにを言っているんだっ。誰が着替え中の女の子だって?」
「あたしよあたし。赤星みずき16歳。正真正銘の女の子よ」
「なんだってぇ?」
 顎が外れそうなほど口を開いている秀樹。

「…ほ…本当に熱で頭が…」
 けんかばかりしていてもいざとなると、本気で心配しておろおろする薫。
「まぁ。みずきちゃん。やっと考えを直してくれたの?」
 彼女だけが喜んでいる。
「もちろんよ。お母さん。これが私。女の子の私が本当の私よ」
 毛布を肩からかぶり裸身を隠しつつ母に向き直る。
「今までごめんね。『オレは男だ』なんて言い張ってて。決めたの。あたしこれからちゃんとした女の子になるって」
「みずきちゃん…立派よ。私もお手伝いするわ」
「ありがとう。お母さん。お料理やお化粧を教えてくれる?」
「もちろんよ。可愛いレディにしてあげるわ」
 ひたすら喜ぶ瑞枝。豹変したみずき。

「…なんだ…いったいなにが起こっているのだ?」
 さすがの秀樹も理解不能。
「お姉ちゃん…」
「兄ちゃん…とうとうそこまで女になっちゃったんだ…」
 うろたえている秀樹と薫。忍。

 月曜の朝。とりあえずそのまま、つまり女のまま眠ったみずき。
 さわやかに目覚めたみずきはパジャマを脱ぐと、風呂場には行かずその場で下着をつけ始めた。
「うーん。窮屈だけど、ブラジャーをすると『女の実感』があるわねー」
 嬉しそうに言う。鼻歌交じりに着替えて行く。

 制服をつけて朝食。一晩経ってもまだ『女心のまま』なみずきに戸惑う家族。瑞枝は別だが…
 そして食べてから最後に鏡の前に。ブラッシングする瑞枝。最後にゴムを用意するが
「待って。お母さん。ゴムはいいわ」
 流れるままの髪の毛。それをかきあげる。
「うーん。やっぱり短いな。せめて背中までは届かせたいわよね。そしたらポニーも。ツインテールも。三つ編みも色々できるし。あ…そこまで長くするなら重くなるから、ブリーチしてみるのもいいかな」
「えー。ブリーチは髪が傷むからやらないほうがいいわ。それよりリボンで飾ってみない?」
 赤いひも状のリボンを取り出す。
「きゃあ。可愛い。お願い」
「はいはい」
 心底嬉しそうにみずきの後ろ髪にリボンをつける瑞枝。…

「ど…どうしたの? どういう心境の変化?」
 治ったことを祝うよりも、先に口をついて出たのはその髪を彩る赤いリボン。
「どう? 七瀬。可愛いかしら?」
 嬉しそうに言う姿。芝居とは思えない。
「みずき? まだ熱があるんじゃ? しっかりしなさいよ」
「やだ。怖い。七瀬」
「ふざけないで」
 怯えるみずきの態度をふざけていると取った七瀬は怒る。
「七瀬お姉ちゃん。ちょっと」
 つかみ掛からん勢いを制したのは薫。耳打ちする。
(どうしたのよ? 薫ちゃん)
(それが…本当におかしくなって自分が本来は女の子で、男に変身する体質と思い込んじゃったみたいなの…)
(まさか…)
 しかし小さな鏡を取り出して、ピンクのリップクリームを嬉々として唇に塗る姿は、薫の言葉を信じさせるには充分だった。
 普段のみずきなら強制されてもこんな女らしいことはしない。

 無限塾。一日の始まる前のショートホームルーム待ち。仲間内に異常を伝える七瀬。
「赤星がおかしくなったぁ?」
「うん…薫ちゃんの話だと熱でうなされたあげく、自分を女の子と思い込んじゃったらしいの」
「そんなバカな?」
 素っ頓狂な声を上げる真理。慌てて口を塞ぐが当事者は今いなかった。購買部へと出向いている。
「でも…お熱でそんな錯覚は考えにくいですわ?」
 姫子が静かに分析する。。
「もしかして…頭を打ったとか?」
 どう見ても何か期待している上条である。
「そういう話でもないみたい」
 七瀬が言うと入れ替わりで綾那が
「じゃ記憶喪失」
 手を上げて元気に言った。
「バカ。そりゃ何もかも忘れる病気だろ」
 真理が言うと「そっかぁ」と舌を出して可愛く振舞う綾那。そこに榊原がシリアスに続ける。
「いや…案外ありえる。熱でうなされて朦朧として、目覚めたときに女の姿。自分が男であることを忘れたと言うなら・・・あくまで及川の言うことを信じるならだが」
 半信半疑の榊原。そこに当人が教室に戻ってきた。

「七瀬ーっ。見て見て。お揃いの学生リボンーっ。どう? 似合うかしらーっ?」

 嬉しそうに首の赤いリボンをみんなに見せる姿を見たら、信じる気にもなってきた。そこに・・・

「大変だぁーッ。悪漢高校が攻めて来たぁぁぁぁっ」

 このややこしいときに春日の軍が攻め込んできたのだ。
 だが閃くもののある七瀬はみずきの手を取り
「行くわよ。みずき」
「え? ど…どこに行くの?」
 それにはかまわず無理やり校門へと連れて行く。

 物凄い力でぐいぐいとみずきの手を引っ張る七瀬。それに対して必死の抵抗を試みるみずき。
「やめて七瀬。あっちには怖い不良が」
 本気で怯えてみせるみずき。それをあえて春日の前につれてくる七瀬。
「待たせたわね…」
「あううううう・・・・」
 強気の七瀬。その手を握り締め震えるみずき。
「おい。相変わらずレズレズか? 今日はお前の方が男役か?」
「何の話ですかっ?」
 この展開は望んでない。
「まぁいい。この前は成り行きで共闘したが、馴れ合いはごめんだ。だからこうして戦いに来た。
赤星みずき。お前が相手と言うのか? いいぞ。お前には痛い目に遭っているからな。もうお前を女とは思わずに戦うぞ」
「う…うぅ…」
「どうした? いつものように啖呵は切らないのか?」
 それに対してみずきが言ったのは

「あの…やめましょうよ? 喧嘩なんて野蛮なこと」

 まさに「ハトが豆鉄砲を食らった表情」の春日達。七瀬までもだ。
 この局面ならふざけていられない。ふざけて女のふりをしていたら痛い目に遭う。いやでも男になるはずだ。そう思って荒療治を試みた。
 ところが期待と裏腹にまさに女らしい言葉が出た。
 たまらないのが春日だ。おちょくられたと取った。
「ふざけるな! バカにしてんのか。俺を」
「そんな! バカになんてしてません。けど…やっぱり女のあたしが男の人と取っ組み合いなんて…出来ません」
 視線を落とし、ちらりと見る。いつもなら燃える闘志が溢れる瞳なのに…
 ぞくぅ〜っと春日は悪寒が走る。
(な…なんだ? この悪寒は…まるで『どう見ても男にしか見えないオカマ』にでも遭遇したようなこの悪寒は…)
「そうか…精神攻撃か。そうは行くか」
 言うなり春日は(得体の知れないものに対する畏怖もあり)ロッドを振るう。その先端がみずきの頬に当たる。
「きゃあっ」
 へなへなと女の子らしく崩れる。そしてきっと睨み付ける。
「そうだ。その目だ。やっとその気になったか」
 しかし

「ひどいじゃないですか? 女の子の顔を棒で叩くなんて。顔に傷が残って、お嫁に行けなくなったらどう責任とってくれるんですかっ?」

「よ…嫁?」
 その単語に面食らう春日。みずきは頬を伝う液体に気がつく。若干だが頬が切れて流血していた。顔色が蒼白に。
「……血……」
 そのまま貧血のように倒れるみずき。
「みずきっ」
 慌てて支える七瀬。そして春日は寒気に震える。
「き…気色悪い。退却。こんな奴相手に戦えるかぁぁぁぁ。退却だァァァ」
 どうも春日以外も我慢していたらしく、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。

 それを見ていた上条たち。
「おーお。戦ってないのにカテゴリーAの眷属のように逃げて行くなぁ」
「なるほど。確かに心からおなごになりきった様子」
「大丈夫かな? みーちゃん」
「心配ですわ」
「でも春日達じゃないが確かにあれは気持ち悪いし」
「いっちょ元に戻してみるか」
 事態を把握した一同は、みずきを元に戻すべく動き出す。

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