第41話『流転』

 雨はやまなかった。そのため中尾はタクシーで帰る羽目になった。
 深夜にも変わらず妻が出迎える。
「あなた。大丈夫?」
「ああ。多少は濡れたが問題ない。ところで恵は?」
「こんな時間ですもの。寝ちゃってるわ」
「そうか……」
 ごく普通の「夫婦の会話」だった。少なくとも百合子の立場では。

 濡れた背広を妻に預け、中尾は娘の寝室へと向かう。
 横向きの少女。その白い首筋。そこから目が離せない。
(今すぐその首を絞めてやりたいところだが…今日はこの雨だ。逃亡も厄介だし、わざわざ他所のものが殺しに来ると言うシナリオもうそ臭い。百合子も起きているのでは無理だ。
 今日のところはただ寝ているがいい。いずれ永遠に眠らせてやるがな…そうだな。『行方不明』になればこっちが被害者ぶれるか)
 冷たい瞳。親が子に向けるそれではない。
「よく寝てるでしょ」
 後ろから百合子が語りかける。
「ああ…そうだな」
 夫のフリをした殺人鬼はこの日は殺意を辛うじて押さえ込んだ。

 しかし恵は眠ってなどいなかったのだ。とても眠れる気分でないところに、あの殺意をぶつけられてしまった。
 震える体を両手で必死に押さえ込んでいた。寒くて寒くてたまらない。
(誰? 本当に誰なの? パパなんかじゃない。こんなのって…)
 彼女の不安はますます高まる。

 真上に昇った太陽。それに向かうかのように高く伸びた杉の木。
 見慣れた建物の見慣れない位置。そこから彼は上を見上げていた。
 やがて金網を不自然な体制で飛び越える影が。
 男だ。中年の男。それが長い髪の少女を押さえ込んだまま金網を飛び越えた。
 ジャージ姿の少女とともに男は地面へと落ちていく。そこに…

「はっ?」
 榊原和彦はそこで目が覚めた。
「今のは…小山の時と違って今度ははっきり見えた。しかしまさか…あの人物が何で…」
 色々と疑問はある。だがそれよりも優先することがある。
 今度こそ命を救う。それが何よりだった。

 前夜からの雨は朝になってもしつこく降り続いていた。
 さすがに土砂降りではなくなり、雨足も弱くはなっているのだが傘がないと五分でずぶぬれになる雨量だ。
 そんな中を仲良く登校するみずきと七瀬。
 登校中なので少女の姿のみずき。既に変身しているので、いくらぬれても正体がばれる心配はとりあえずない。それでも鬱陶しいことには違いない。
「うーん。どうせなら体育が中止になればいいのに」
 まだ後ろ向きの七瀬である。
「えー。オレ保健体育いやだよ。なんか女のだと気まずくて」
 学校では少女で通しているみずきだ。当たり前だが授業も男女別の場合は女子用に振り分けられる。
 無限塾の体育は男女は基本的に分けない。水泳でもだ。保健体育もなのだが一部では男女別にするケースがある。
 ちなみに該当しないほうの生徒は図書室で自習となる。
「保体もあるかしら? 高橋先生なんだか調子悪そうだったし」
「そうだっけ? 女ってよくそんな細かいところまで見てるよな」

 その高橋圭子は吐き気を訴えていた。
「今日は学校休め。そして病院に行け。送ってやるから」
「うん。ごめんなさい。あなた」
 殊勝な表情で謝る圭子。
「体調悪いんだから無理するな」
「はい。でも…病気じゃないかも?」
「えっ?」
 怪訝な表情をする圭子の夫。
 圭子は自分の下腹部を愛しそうに撫でて優しい笑顔になる。

 みずき達が登校すると氷室響子が奇妙な行動をしていた。
「氷室先生。おはようございます」
「はい。おはよう」
 朝の挨拶を返すものの手は休まず「なにか」を壁に貼り付けている。
 その上から元々あったらしい告知用ポスターをはって「それ」を隠す。
「あの…何をしているんですか? と、いうか何を貼っているんですかと言うか…」
「御札よ。見ての通り」
 さらっと答える響子。
 長い髪を無造作にまとめ、切れ長の目とメガネ。そして白衣が理知的な印象だが、あつかつているのがお札と言うギャップに少し面食らう二人。
「そのままだと目立ちすぎるからちょっと隠しているのよ。本当は生徒が登校する前に終わらせたかったけど間に合わなかったわね」
 そのまま作業を続ける。札を貼ると「念」をこめる。いわば「使える状態にした」と言うところか。
 ふたりはその場を静かに離れた。
 みずきの体質もかなり不思議だが、オカルトとなるともうまったく理解できないのだった。

 教室にて。
「あれ? 珍しくオレたちの方が先だ」
「ホントね。珍しく榊原君が後ね」
 とはいえとほとんどにおいて差はない。同時と言うのが多い登校のタイミングである。
 ただ榊原がわずかに先に入るケースも多いのである。

 そのころ。実はかなり早い時間に来ていた榊原である。
 だが教室には入らずそのまま校舎の周辺をうろついていた。
「くそ…やはり雨だとわかりにくいな。だがこの杉の木。かなりの確率で場所はここだ。後は晴れればもっとわかりやすいんだが…
 逆に言えば降り続く限りはあの予知夢は外れると言うことだが…俺としちゃこんな予知はむしろ外れてほしいぜ」
 彼にはゆかりを救えなかったことがトラウマになっていた。
 しかし皮肉にも雲が切れてきた。雨そのものは降り続くが明るい日差しが見えてきた。
「やはりここか……」
 彼は自分の予知を確信した。雨を除けば夢で見た景色。

 いつものように陰鬱とした調子の中尾。事務的にホームルームを。
 まったくもって普通の出だしだった。特別な日になるとは思えない朝だった。
「最後に藤宮先生からの伝言だ。今日の五時間目の体育は晴れた場合は男子は一組と合同でマラソン。
女子も一組と合同だがこっちは高橋先生が休みなので、屋上でバレーボールだ」
 その言葉に男子からブーイングが上がる。
「マラソンかよ」
「俺らもバレーの方がいい」
「不公平だ」
 中尾に対するあてつけもあり文句が止まらない。その中尾はあくまでクールに。
「女子は屋上で自主的にバレーでもさせておけば問題ないが、男子は監視下に置かないとまずいからだろう」
 二の句がなかった。「やんちゃな奴ら」が多かったのもある。
 本来の予定は一組が校庭でソフトボール。2組が屋上でバレーボールだったが大雨で校庭が使えない。
 体育館は既にふさがっている。
 2クラスを同時にマラソンないしバレーだと人数が多すぎて充分な効果が期待できない。
 どうせ分けるならクラスごとじゃなく男女別にして、比較的良識派の女子が自習で。
 そして男子は監視下でマラソンである。
 ちなみに学校周辺をトラックに見立てて走るわけだが、藤宮は反対方向から走り全体を監視と指導する。教師自身が走っていては文句もいえない。
 過去に同じようなケースで逃亡を試みて、無駄に終わった経験を持つ男子は以後はおとなしく走るようになった。
 けどマラソンがいやなのは誰も変わらないので、いっそ雨がもっと強く降り、体育が中止になってしまえばと願っていた。

 その雨も徐々にやみつつある。しかし中尾恵の心のもやは晴れなかった。
 一つ屋根の下にいる存在。血を分けたはずの「父親」が向けた血も凍る「殺意」。
 まともに受けて平穏でいられるはずもない。
 二時間目の授業中に青い顔になっていた。
「どうした? 中尾。気分でも…いや。保健委員。中尾を保健室まで連れてけ」
 数学の授業中だった。あまりに顔色の悪い恵を気遣った教師だったが、様子を聞くつもりがその調子からいきなり保健室行きを命じた。
 恵は悩みすぎて体調を崩したのだ。肩を借りて保健室へと出向く。
 そして早退するにしてもすこし休ませようと保険医が判断して、ベッドに横になることになった。

 捜査一係。上条繁から提出された資料を見ている係長。苦い顔をしている。
「ジョーさん。ジョーさんの息子も思い切った手を使うな……」
 皮肉や嫌味ではない。「容疑者」に教わっている人間にしかできない手であると。
「けどジョーさん。こいつは…」
「ええ。裁判所には出せません。それにとんでもない低確率ですが、たまたま被害者と街ですれ違っただけでついた指紋。たまたまあのビールケースに触れただけの指紋かもしれません」
「これが凶器についた指紋だってんならかなり突っ込めるんだけどな」
 聞き込みでコンビを組んだ若い刑事が口を挟む。
「その凶器だが……現場は出血の量から判断してあの場所でいいとしても、凶器も、そして腕と言うか手以外の死体も見つかりません。しかも引きずって運んだような跡もないし」
「捜査を混乱させるためにあの場に血をビニール袋にでも詰めて、持ってきてぶちまけたと言う可能性もあるにはあるな。
大体あの場で殺したんならどうして残されていた両手の切断面が炭化している? どうやって焼いたんだ? ガソリンや灯油は検出されなかったと鑑識も言ってたし」
 ここで言葉が止まる。あまりに常識の範疇を外れすぎた事件だった。
「だから僅かな可能性でもかけて見たい。係長。まだ女学生の失踪の件も片付いてませんし、その件でも中尾教師にあってみたいと思います」
 そういう「大義名分」はある。だから逢うこと自体は止められない。
「慎重に頼むぞ」
 およそベテランと呼ばれる人物に言う言葉ではない。
 それだけこの事件は奇怪だった。

 二時間目から三時間目にかけての休み時間。
 雨もすっかり上がり「残念ながら」五時間目の体育がマラソン確定の男子。
 その中から榊原が十郎太を連れて杉の木の傍に出向いていた。
「ここがお告げの場所か?」
 十郎太の言葉に黙って頷く榊原。
「むう。確かに今までおぬしのお告げは当たっていた。だが本当にそのようなことが起こると言うのか? 今回ばかしはにわかには信じられぬ」
「半信半疑って奴だな。無理もないか。だが信じてくれ。それに俺はもう助けそこなうのも嫌だしな」
 榊原がここまでの本音を見せるのも珍しい。それが説得力を生む。
「よかろう。おぬしの言葉。信じよう」
 彼は友のために、そして大事な人のためにその言葉を信じた。

 三時間目は空き時間になっていた中尾勝である。テストの採点を始めたときだ。
「中尾先生。お電話です」
 別の教師が取った電話が回される。誰が相手かわからないまま電話に出る。
「もしもし」
『お忙しいところ申し訳ありません。警視庁の上条ですが』
 この声。そしてこの名前が斑に緊張をさせる。
「何の御用でしょう?」
 はたからは変わりないクールな声に聞こえたが、本人は震えて堪らない状態だった。
 取られた指紋。そしてこのタイミングで掛かってくる宿敵からの電話。
『実は小山ゆかりさんのことでもう一度お話を伺いたく思いまして。これからそちらに参りますから』
 だからこんな言葉を信じる気にはなれなかった。本気で失踪を調査に来たつもりでも結びつけずにはいられない。
 もっともその失踪も彼がゆかりを焼き殺した故に生じた話で、無関係のはずもない。どちらにせよ当事者なのだ。
「はぁ」
 間抜けな返事の仕方だと斑自身が思っていた。
『ああ。お昼休みに伺いますので』
「いや…刑事さん。これは…」
 任意でしょう? そう続けたかった。しかしそれを言うと弱みを晒すようで言えなかった。
『これは? 何か不都合でも?』
「(早速突っ込んできやがった)いえ。手短に終わるんでしょうね。五時間目も授業がありますんで」
 この場合多少の嫌悪感は示した方が自然だろう。
『ええ。お時間は取らせませんので』
 電話が切れた。
 逃げると言う選択肢が浮かぶがそれは『殺人』を認めている。
 そして何より『負け』を認めている。
(落ち着け。例え指紋がとられていても殺人の立証は出来ないっ。奴らにマリオネットの存在がわかるはずもない。とぼけてやり過ごせ)

 上条刑事だけならまだこれですんだだろう。しかし来訪者は他にもいた。

 保健室のベッドに横たわっていたはずの恵は、保険医が目を離した隙に『脱走』した。
 目的地は無限塾。目的の人物は真理。そして「父親」
 真理に味方してもらって父親に真相を確かめずにはいられなかった。
 気がついたらベッドを抜け出して裏から中学を抜け出していた。
 精神的なものから来た体調不良である。気持ちが「真実を確かめる」方向に向いたので体調も向上した。

 恵は既に無限塾の最寄り駅にいた。

 四時間目。英語の授業。ミッキー・ナラハシが出席を取っている。英語でのやり取りでこれも授業の一環だった。
「Mr.Kazama?」
 返事はない。十郎太の姿が見当たらない。
「お休みですか?」
 誰ともなしに尋ねる。男子の一人が二時間目まではいたと返答する。
「Miss Hojo。彼がどこに行ったかごぞんじですカ?」
「それが…わたくしにも」
 歯切れが悪い。姫子に隠し事の形だからだ。
(十郎太様。授業も出ないでどちらに行かれたのでしょう?)

 悪漢高校。高校と言いつつ授業より抗争を重要視していた。
 対無限塾の久しぶりの襲撃。
 四月からの新入生を主体とした相手に負け続けていたので気合も入っていた。
「行くぞ。我々からの卒業祝いを届けにな」
 もちろんこれはこの闘いの記憶をさしている。
 総番自ら。そして大幹部である四季隊も勢ぞろい。
 まさに戦争に行くような大部隊だった。

 雨が上がり雲もなくなった。
 この時期としては異常な気温上昇が始まった。小春日和と言える。
 雨上がりだけに蒸した感じである。
「変な天気だな。なぁ村上」
 この日は食堂のみずきだった。意図的に教室から離れた。
「そうだな…ん? あれは?」
 真理は知った顔を見つけて駆け寄った。無限塾の中で綾那とも違うセーラー服。目立つと言うものだ。
「恵? なんでここに? 学校は?」
 問い詰める真理。だがそれを決意の目で見上げる恵。
「真理さん。力を貸してください」
 ただならぬ様子に思いつめていると察した。真理はただ頷いた。
 その様子を見ていたみずきだったが、ここは余計なことは止めようと思い見守っただけにとどまった。

 恋に破れても腹は減る。屋上の物陰でサンドイッチを小さな口で食べていた綾那である。
(ボク…どうしてここにいるんだろ?)
 決して後ろ向きな発想ではない。
(もう上条君のことを諦めたんならここになんていないはずなのに…それでも来てるってことはどこかでまだ諦め切れてないのかな?)
 空を見上げる。雲がまったくない。暑いほどの日差し。
(聞きたい。上条君の気持ちを。はっきりと聞きたい。このままなんて嫌だ。でも恐い。誰かに相談したいけど)
 背中を押してほしい。そんな想いだ。
(そうだ。みーちゃんなら半分女の子だし。男の子の気持ちも女の子の気持ちもわかるかも)
 みずきに相談に乗ってもらおうと探し始めた。

 完全に雨が上がり五時間目の体育が確定。
 体育館もふさがっていて即ち更衣室もふさがっている。
 そこで合同と言うこともあり一組で男子が。二組で女子が着替えとなった。
 だが綾那。真理。そしてみずきまで着替えの場にいない。

「め…恵?」
 三階の廊下で中尾恵と遭遇した中尾勝は狼狽していた。どうしてここに?
 しばらくしたら刑事も来る。それなのになぜ娘まで。
 しかも中尾とは相性の悪い真理が後ろ盾となっている。
 真理は元々だが、恵も射抜くような視線で「父親」を見ている。
 まるで仮面の裏を見抜こうとしているかのようだった。
「パパ。話があるの」
「話しなら家でもできるだろう。学校はどうした? 早退したならおとなしく家に帰りなさい」
 この視線はたじろがせるには充分だった。
「いやぁ。それがどうしても今じゃないとダメらしくて。どこか邪魔の入らないところに行きませんか? 放送室なんてどうです? 先生」
 最後の「先生」には思わず皮肉を込めていた真理だった。

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