1993年3月。
 少年は少女の部屋にいた。
「ハハ。いつ見てもかわいらしすぎて居心地の悪い部屋だな」
 他愛のない言葉にも緊張が見て取れる少年。
 180近い長身。細身だが筋肉はしっかりしている。
 短く刈り込んだ髪だが、童顔のせいで精悍という印象にはならない。
 彼の名は熊谷亮二(くまがい りょうじ)。

「ごめんね。可愛いぬいぐるみを見つけると連れて帰ってきちゃうの」
「購入して持ち帰る」を「連れて帰る」とまるで生きているものを扱うように表現した彼女の名は鹿野綾子(かの あやこ)。
 童女のような高い声で答える。
 身長は149と低め。胸も薄目でしかも幼顔ゆえにしばし小学生と間違われることも。
 左右に長く伸びたツインテールという髪型もそれに一役買っている。

「でもなんでみんなそっぽ向いてんだ?」
 ぬいぐるみがことごとく背中を向けていた。
「だって……恥ずかしいから」
 本当に赤くなる。
 つられるように亮二も赤面する。
「いいんだな?」
 緊張の面持ちで尋ねると、綾子はこくりと頷いた。
「離れ離れになるから思い出がほしい」

 二人は中学を卒業したばかり。
 在学中に恋人と呼べる関係になったものの、進学先がそれぞれ男子校と女子高。
 しかもともに全寮制だ。
 恋人としての関係も逢えないことで自然消滅しかねない。

 だから「絆」を欲した。
 そう。体のつながりを。

 童貞と処女だけにぎこちなく行為は進む。
 しかしそれが逆に高めることにつながった。
 二人はなんと同時に達した。

 綾子は一人でしているときと違って急激に冷めたことに違和感を感じた。
 目の焦点があってきて見えたのは自分自身。
 まるでなれない「余韻」に戸惑うかのような表情の鹿野綾子を他人の目で見た。

 やがてその「綾子」も目の焦点があってきて叫ぶ。
「なんで俺の顔が目の前に?」
「やっぱりこれあたしの顔よね? それじゃまさか?」
 二人とも裸のままベッドから跳ね起き鏡を見た。
 ここで理解した。
 肉体と魂が入れ替わったと。


アルバムを眺めながら


 時は流れ2018年3月のとある日曜日。
 マンションの一室で少女が金切り声を上げる。
「キャーっ。可愛い。ママーっ。見て見てぇ」
 台所にいる母親を呼び寄せる。
 13歳とまだあどけなさの残る少女は、その丸顔に似合うツインテールだった。胸も薄い。
 ボーダーのシャツの上からデニム地のジャンパースカート姿。

「なぁに? めぐみ。ママちょっと忙しいのに」
 手をエプロンで拭いながら母親がリビングにやってきた。

 もともとが幼顔で小柄。
 胸は最初から薄い。
 ただ年齢の割には肌にはりがある。
 特筆すべきは髪型。
 40歳にしてツインテールのままだが、それが違和感なく似合う。
 甲高い声もあり下手すると20代前半に見られる容姿だ。

 彼女の名は熊谷綾子。旧姓は鹿野。
 そう。鹿野綾子が嫁に行き母となったのが彼女だ。
 ただし中身は入れ替わったままである。

 性行為が原因で入れ替わったとみられた二人は、即座にもう一度始めた。
 しかしただでさえ初めてだったのに、今度は不慣れな異性の肉体。
 結合すらままならないで、時間ばかりが経っていく。

 入れ替わりなどどちらの家族も信じてくれるとは思えない。
 ましてその原因が親の目を盗んでのベッドインでは尚更言えない。

 夜になると出かけていた鹿野家の人々も帰って来る。
 やむなく綾子の魂の入った亮二……リョウジは「帰宅」した。
 亮二の魂の入った綾子……アヤコはそのまま部屋に残る。

 そして二人は互いになりすまして過ごした。
 肌を重ねるほどの関係の二人だったので、表面上はかろうじて装えた。
 違和感を抱いた家族だが、よもや入れ替わっているなど想像もできない。
 むしろ頻繁に会いに来る綾子の彼氏。あるいは亮二の彼女。
 その付き合いなどで変化したと両家の家族は理解した。
 成長の過渡にあった故と。

 やがて高校生活が始まる。
 リョウジは男しかいない環境。
 アヤコは女しかいない環境に。
 それが外的要因。それに肉体の性別という内的要因が重なる。
 それぞれ成りすましていることあり急激にリョウジは男性的に。
 アヤコは女性的になっていく。

 何より大きいのは定期的に性行為をしていること。
 この時は理性以上に動物的な本能が勝る。
 それゆえ肉体の方に精神がシンクロしていく。
 ましてやこの行為がそれぞれ男性ホルモン、女性ホルモンの分泌を促しますます肉体の性別にあっていく。

 もちろん元に戻るためにしている。
 しかしどうしても戻れない。

 大きな違いとしては同時に達したことが挙げられるのだが、それ自体が奇跡的なことで。
 奇跡は二度起きなかった。

 次第に逢うこと自体が目的に移行していく。
 アヤコは服に気を使い、化粧もするようになった。
 可愛く見られたい思いがいつの間にか「彼女」を変えた。
 リョウジも逢うたびにたくましさ。精悍さを増している。
 その長身を生かした男子バレーボール部で鍛えられているゆえだ。

 ふたりは手をつなぐだけで満足するようになっていた。
 平たく言うと性行為に飽きてきていた。
 むしろ普通のデートの方が楽しくなっていた。

 だからといって一生他者の肉体でいるわけにはいかない。
 だから間違って他の相手と入れ替わらないように、二人は結婚に踏み切った。
 入れ替わってから十年経った25歳の時だ。

 鹿野綾子としてずっとあこがれていた「お姫様のようなウエディングドレス」をよりによって男に奪われた形なのに、不思議なほどネガティブな感情がわいてこなかった。
 むしろ「きれいだな」と花嫁に見とれていた。
 高校卒業して大学進学。
 それも卒業して就職。
 バリバリの企業戦士になっていた。
 生まれて15年を女の子として過ごしたが、それより短い10年で男に染まってしまったのはやはり男として女を抱き続けたことが大きい。

 そして抱かれ続けたアヤコはそのたびに女へと塗り替えられる。
 結婚を意識したのもアヤコが先だ。
 女子高を出て短大に。
 その後は家事手伝いで「花嫁修業」。
 そして特筆すべきは趣味と髪型まで引き継いだこと。
 不審がられないようにとぬいぐるみを愛でるようにしていたら、いつの間にか本当に愛着を感じだして抱いて寝るほどに。
 そしてツインテールもずっとしていた。
 そう。結婚して、母親になってまでもである。

 結婚し、定期的に肌を重ねているのである。
 入れ替わったときと同様に避妊してないので、子供も宿る。
 その時「男なのに妊娠してしまった」ではなく「リョウジさんの赤ちゃんができてうれしい」と思ったことで彼女はもう男に戻るのを諦めた。
 妊娠という女性にしかできないことをした時点で、ようやく踏ん切りがついた。
 すっかり女だからもういいやと。

 リョウジもアヤコの妊娠で「もっと仕事をがんばって子供も養わないと」と男の思考が自然と出ていた。

 一人娘もすくすく育ち今に至る。
 もうすっかり元の性別を忘れていたある日に、思い出させるようなことが起きた。




「ね、これママでしょ?」
 めぐみは開いた古いアルバムの写真を示す。
 そこにはピンク色のフリルだらけのワンピースを着た少女が写っていた。
 笑顔でピースサインだ。
「あらやだ? どこにそんなのあったの?」
 アヤコ自身も忘れていたアルバムだ。
「テレビの上の棚。別のものを取ろうとしたら見つけたの」
「そんなところにまぎれていたの?」
 アヤコは懐かしそうに目を細める。
 自分が「熊谷亮二」から「鹿野綾子」になってしまった記録がここにある。

 事故や病気で体の一部を失った人間は大いに泣くであろう。
 しかしいつまでも泣いてばかりではない。
 立ち上がり、そしてまた歩き出す。
「熊谷亮二」もそうだった。
 何度試しても男に戻れず絶望感から女々しく泣いた夜もあった。
 しかしいつしか受け入れ鹿野綾子。そして熊谷綾子としての人生を歩み始めた。
 15歳まで男の子。そこから先は女の子。お嫁さん。母親として生きてきた。
 だから涙ではなく懐かしむ笑顔が出た。

「この写真はママがいくつの時?」
「高校生の頃ね。たぶん春休みにみんなで遊びに出かけたときね。テストも終わったからバーッと遊ぼうってなったのよ」
 まるで昨日のことのように思い出せる「自分の女の子としての記憶」だった。

 大型テーマパークだったようで、マスコットと記念写真を撮っている。
 ぬいぐるみの好きな少女を演じている……とてもそうは思えないアヤコの喜色満面の表情だ。
(あの頃のあたし、本当にぬいぐるみとか可愛いものが好きになっていったものなぁ)

 ふと娘を見る。この年13歳。しっかりしてきたもののまだまだ子供。
 それもありまだ「両親が入れ替わった存在」というのは教えてない。
 信じてもらえない気がしたし、受け入れるにはまだ幼すぎる。
 できれば墓まで持っていきたい秘密だった。
 しかし凝視していたのは別の理由。

 視線を感じためぐみは怪訝な表情をする。
「どうしたの? ママ。あたしの顔に何かついてる?」
「ああ。ごめん。ちょっと懐かしさでぼーっとしてたわ」
 思っていたのは違うこと。
(何も教えてないのにこの子は幼稚園の頃はままごとしてたっけ。女の子にはそうプログラムでもしてあるみたいに思えるわ)
 生き証人がいたわけだ。
(あたしも男だった時は格闘が好きだったし、小さなころはヒーローごっこもしたけどこれだって教わってなんかないわ。やっぱりプログラムのようになってるみたい)
 一部の例外はあれど男児。女児それぞれ教えられてもないのにとる行動がある。
 それこそ本能レベルでだ。
(だからあたしも女の肉体に押し込められて、女に成りすましているうちに本物の女になってしまったのね)
「出産」などという決定的に女性にしかできないことをしたのである。
 もう心から女である、
 しかしそれ以前。女子高生の時点でかなり女の子になっていたのが、この写真で見て取れる。

「ママの高校生の頃ってどんなだったの?」
 未来を占いたいのか「先輩」にいろいろと尋ねる。
「普通の女の子よ」
 本当に「普通の女の子」だった。
 全寮制の高校で女子に囲まれて、女子の常識にならされてわずか一年で「普通の女の子」になってしまった。
 女子の宿命たる生理には慣れないものの、対処だけなら半年でできるようになった。
 ファッションセンスは「普通の女の子」になるには二年ほどかかったが、服の着方だけなら季節ごとに違うといえ毎日着て入れは嫌でも慣れる。
 最初は苦戦していたブラジャーも、ひと月かそこらでスムーズにつけられるようになった。
 女子の言語感覚の高さ故に、三か月もしないうちに『女性的なしゃべり方』が身についた。
 化粧も休みで外出するたびにしていたから、卒業する頃には一通りできるようになっていた。
 もっとも校則では禁じられていたので大っぴらにはできないから、できなかったとしても不思議はないのだがアヤコはできるようになっていた。
 もちろんリョウジとのデートのたびにしていたからだ。

(ほんとに、高校生のころには急激に「女」へと変わったわね。もっとも先に男を知ったわけだけど)
 入れ替わってしまったのが初体験。
 もしこのまま戻れなかったら最初で最後の『女性経験』である。
 あとはとにかく女として回数をこなした。
 相手は元の自分ただ一人。
 もしも他者との入れ替わりが発生したら目も当てられない。
 だからできない。
 これはリョウジも同様だった。
 男の肉体だけになおさら衝動がきついとしばしこぼす。
 15までは男だったので理解できる。
 だから全て受け止めていた。

 古い写真で思い出す。
 かつては男だったことを。
 言い換えればこの「綾子」のアルバムでは自分の記憶にないころもある。
「あは。ママ、セーラー服だぁ。わっかぁーい」
 無邪気に喜ぶ娘。冷汗の母親。
「ね。これはいつ頃なの。やっぱり中学?」
 あからさまに顔立ちが幼い。
 背丈は小学生時代で止まったと、かつてのこの肉体の主はぼやいていたのでさほど違いはない。
 さらに言うなら胸元の寂しさも差異がない。
「そ、そうね。そのころだったと思うわ」
 かつて男だったころ見ていた懐かしい中学の制服だった。
 そう。この時点ではまだ「熊谷亮二」だったのだ。
 だから見ていない綾子の行動や心理などわからない。
「この写真は何の時?」
 さて困った。
 その場に熊谷亮二だった自分はいない。
 だからわからない。
「忘れちゃった。もうずいぶん昔のことだし」
 舌を出してちゃめっけのある表情でごまかした。
 25年間も女だったのだ。
 男のような攻撃的なものではなく、見るものすべてを優しい気持ちにさせる笑みも身についていた。

 その後、母と娘でしばらくアルバムを眺めていた。
 久しく忘れていた自分が男だったことを思い出してノスタルジックな気持ちになる。
 それでふときいてみたくなった。
「ねぇ。めぐみ?」
「なぁに? ママ」
「女の子に生まれてきてよかった?」
「うーん……わかんない」
 アヤコは何も言わなかった。
 まだ13歳の少女には早い質問だったかもしれない。
「あ、でも男の子に生まれて来たかったなって思うことはある」
「どうして?」
「だって男の子って足は速いし力も強いし。それがいいなって思うもの。それに」
 黙ってしまった。赤くなる。それがいわゆる「女の子の日」のことと容易に察することができた。

 アヤコに至っては本来なら一生味わうはずの無かった「痛み」が毎月やってくるようになった。
 めぐみを産んだ時のお腹の痛みも女になったからこそ。
 そしてそれがもたらした大いなる喜びも女だったからこそ味わえた。

 不意にアヤコはめぐみを抱きしめた。
「……ママ?」
「ちょっと思い出しちゃったの。あなたが生まれた時のことを。あの赤ちゃんがこんなに大きくなったのね」
 これもまた母親としての思いだった。
(これでよかったのかもしれない。女として生きることになったけど失ったものより得たものの方が大きいわ)
 自分がお腹を痛めて産んだ娘を抱きしめて、それも思い出した。
 やがてゆっくりと放す。
「あらやだ。もうこんな時間。急いでお夕飯の準備しなきゃ」
 まるで照れ隠しのようにアヤコはその場から離れた。
 めぐみも本来の探し物に取り掛かった。



 リョウジも帰宅して一家で夕食。
 一通りくつろいでめぐみは自室に。
 アヤコたちも寝室へと。
 そしてアルバムの一件をベッドの上で語らう。
「そうか……そういや俺、女だったっけ」
 本気で忘れていたらしいリョウジ。
「忘れるのも無理はないわね。25年もお互いこの体で生きてきたんだもの」
 リョウジもかつての「女の子だったころ」を思い出してしんみりする。

「なぁ……まだ元に、この体に戻りたいか?」
 リョウジから初めての質問だった。
 正直めぐみを妊娠してからはすっかり忘れていた気持ちだった。
「あたし今が幸せなの。だからもうこのままでいいわ。ただ本当ならあなたのものだった幸せを奪ったとしたら心苦しいけど」
「それを言うなら俺だって外で好き勝手やってるんだ。お前に家のことを任せっきりでな」
「うふふ。いつもご苦労様」
「アヤコこそいつもありがとう」
 もう「彼」にとって「アヤコ」は自分の名ではなく妻の名前である。

 そして自身の答えを伝える。
「俺ももうこのままで行きたい。今更戻ってもな」
 これは二人とも本音だった。
「それにさ、元に戻ったらお前にキスもできない」
「そうね。同感だわ」
 二人は恋人時代のように熱い口づけを交わした。

「でもどうせだったら最初から女で生まれたかったわ。それなら苦しまないですんだもの」
「わかるよ。俺だっていっそ最初から男ならと何度思ったか。けどな」
「けど?」
「お互い元は逆の性別だったんだ。だからこそ相手をよくわかるんじゃないか? 俺たちがうまくいっているのはそのおかげじゃないかな?」
「そうね。きっとそうだわ」

 こんな話をしたせいか無性にかつての自分の体が恋しい。
 それはリョウジも同じだった。
 黙ってパジャマを脱ぎ捨てた。
 そしてアヤコのパジャマのボタンをはずしていく。
 アヤコはなすがままになっている。
 すっかり女として生きるのにもなれたはずが、自分が男だったことを思い出して女としての裸をさらすのが恥ずかしかった。
 けれど男だったことを思い出したのでその「高まり」も理解できたのでやらせていた。
 それに自分もその気持ちだった。

 アルバムを眺めていて昔を思い出したのが、マンネリ感を打ち破ったらしい。





 半年後、真っ赤な顔でめぐみに「今度お姉ちゃんになるわよ」とアヤコは告げた。
 お腹の子が大きくなるまでまた入れ替わりの告白はお預けだなとも思った。

あとがき

 実験作です。
 すでにTSしてすっかり受け入れた……言い方を変えれば諦めた元・男の回想という形。
 この変則でやってみましたがいかがだったでしょうか?

 作中にも書きましたが不自由な体になった人も、いつまでも泣いてないと思うんです。
 泣くだけ泣いたら前を向いて歩きだすと。
 男でなくなった悲しみはあれ、代わりに女だから得られたものもあったんじゃないかなと。

「女の幸せ」って多分ですが当の女性にしても、おばあちゃんになって人生を振り返って「あの頃が幸せだった」とおぼろげに思う物じゃないかなと。
 だから男の僕には到底わからないのですが、この作品におけるアヤコは子供を産んでの今の生活が幸せだと感じていると。
 これを決めつけとか言われると心外ですが。

 今回ネーミングは特に理由なく。
 あえて言うなら男性的。女性的な響きの名前にこだわっただけで。

 お読みいただきましてありがとうございました。

『TS短編作品専用掲示板』へ

TS館へ

トップページへ