西暦2000年。秋のある日。
 東京。文京区。その住宅街にある一軒家。
 一人の中年男性が玄関で出かける準備をしていた。
 そこに一人の少女。彼の二人目の娘が歩み寄る。
「お父さん。どこに行くの?」
 ジャンバースカート姿の女の子。
 槇原詩穂理。このとき六歳が父親に呼びかける。
「お散歩だよ。詩穂理もついてくるかい?」
 大学教授である彼はテスクワークに煮詰まると、こんな天気の良い日は公園まで散歩に行くのが常だった。
「一緒に行く」
 幼い少女は迷わず同行を選択した。

 彼女のお目当ては父親との散歩そのもの。
 そしておもちゃでもなければお菓子でもなく「お話」が大好きだった。
 ゆったりとした語り口でいろんなことを教えてくれる。
 幼い少女の想像力を掻き立ててくれた。

 ベンチに座る彼はいつもたばこを燻らせる。
 最初は煙たがっていた詩穂理も、いつしかこの紫煙を「お父さんのにおい」と認識するようになった。

PLS〜if〜スピンアウト

「槇原詩穂理はいかにしてヘビースモーカーの腐女子になったのか?」

 2009年。冬のある夜。
「お父さん。御夜食」
 ジャンバースカート姿の上からカーディガンの詩穂理がサンドイッチを運んできた。
「おお。いつもすまんな。しかしお前はこの部屋は平気なのかい?」
 まるで火事かと思うほどに煙が充満している。
 しかし詩穂理は平気な顔をしている。
「子供のころからだもん。お父さんのにおい」
 この時点で中学三年生。
 髪は短く、視力は低めだったもののメガネはかけてなかった。
 すでにトレードマークの胸はEカップにまでなっていた。
「でもやっぱりすごい煙。原稿進んでないの?」
「うむ。どうも今日はいかん日だな。タバコばかり進む」
 執筆をしていた父だがそれがはかどらず、そのいら立ちがタバコを多くさせていた。
「ねえ。私に話してみて。そうするうちに考えがまとまるかもしれないよ」
「それはいいが……だったらベランダに出るか。煙たいだろう」
「寒いからここでいいよ。でも換気だけはしようね」
 窓を開け空気を入れ替える。
 それでも長年染みついたタバコのにおいは抜けないが、詩穂理にとっては父のにおいで不思議と落ち着いていた。

 2013年4月の半ば。
 高校を卒業した詩穂理は無事に大学へと進学した。
 制服こそ着ていないが、まだ高校生の雰囲気を残した「女子大生」だった。

 彼女はとある「部室」を尋ねていた。
 それは文芸サークルであった。
 勉強の傍ら、サークル活動も楽しみたいと思っていた詩穂理は、本が好きなこともありここを尋ねた。
「ここみたいね」
 扉をノックする。
「どうぞ」
 入室を許可する声がしたので「失礼します」と言い、扉を開けた。
 火事かと思った。
 それほど煙が充満していた。
(お父さんの部屋みたい)
 驚きはしたが耐性があるので逃げなかった。

「ほう。たいていの入部希望者はこの煙でにげだすんだがなぁ」
 スーツ姿の年上と思しき女性が、右手にタバコを持ちつつ笑いながら言う。
 詩穂理同様の黒髪ロングだが、中央できちんと分けられていた。
「ちょっと驚きましたけど、父の部屋もこんな感じですので」
 とりあえず答えると礼を守りにかかる。
「初めまして。一年の槇原詩穂理といいます。入部希望でやってきました」
 挨拶をした。
「ほう。さらに入部希望とは見どころがある。気に入った」
 スーツの女は立ち上がり右手を差し出す。
「私は文芸部部長。3年の霧島七星(きりしま ななせ)だ。よろしく」
「改めまして。槇原詩穂理です」
 直感で馬が合うと思った詩穂理は、部長に握手で応じた。

「3年なのにもう部長なんですか?」
「私の一つ上の人たちは、みんなたばこを嫌ってやめていった。私は高校時代から吸ってたので、むしろ居心地よかったんだが。とはいえまさか部長にまでなるとは思わなかった」
 苦笑する七星は改めて中を見せる。
「紹介しよう。わが文芸部のメンバーだ」
 七星がいうと一人ずつ立ち上がり握手を求める。
「はじめましてぇ。遠藤のそみでぇす」
 幼顔の女子だった。背も低く、短い髪を二つに分けているのがますます幼さを醸し出す。
 服装ミニスカートとTシャツでまるで中学生だった。
 幼顔が美鈴を。短いもののツインテールがまりあを彷彿とさせた。
 二人に負けてない美少女でもある。
 もっともたばこを直前まで口にしていたが。

「初めまして。遠藤先輩」
 握手に応じる。見た目幼くてもタバコを吸っていたからは二十歳以上。年上への礼に気を付けたが
「もうー。堅いなぁ。あたしも新入生だよ。ここには1週間前から来ているけど」
「え? それじゃ」
 詩穂理はのぞみがタバコを吸っていたのを見ていた。
 だから成人済みで先輩と思ったのだが
「ああ。これのせいか。あたし19歳。四月生まれなの」
 視線で察したのぞみ。
「タバコはパパのまねしているうちに癖になっちゃって。15からなんだ」
「未成年は」
「だから堅いって。同じファザコン同士。お近づきで親愛のしるしで一本」
 のぞみは一本だけ箱から出た状態のタバコを差し出す、
「結構です。遠藤さん。私も未成年ですから」
「ほんとに硬いなぁ。タバコ吸わないならいいけど、せめて堅苦しい苗字呼びはやめてよ、同じファザコンなんだし」
「別に私はそういうわけじゃ。あなただって世間一般の常識の範疇でお父さんが好きなんでしょうし」
「うん。パパ大好き、あたし今でもパパと一緒にお風呂入るし」
「え?」
 さすがに詩穂理もひいた。

 紹介は続く。
「二年の斎藤若葉よ。よろしく」
 ウェービーな茶髪が栗原美百合を思わせたが、雰囲気はけっうきつい。
「初めまして。三年の新堂聖子です」
 こちらはセミロング。背も低めで何となく親しみやすい。
「同じく三年。伊藤はいら」
 こちらはなぎさを思わせるポニーテール。
 後でわかるが副部長。
「二年の打田(うちだ)幸(さち)」
 こちらは男のようなショート。ただしグラマラスで首から下で「女」をアピールしていた。
「私も二年。渡辺未来」
 身長は150ないだろう。
 声は反対に高い。服もフリフリひらひらとしているのでそのまま「ロリータ」な印象。

 次々と挨拶を交わす。
「あの霧島先輩。これって」
 同じ他サークルのメンバーという以外の共通アイテムがあった。
「ああ。全員が喫煙者だ」
 そろいもそろって手元にタバコとライターがあったのだ。
 中には詩穂理とあいさつするまで口にしていて、終わったら吸い出すものも。
(これじゃこんなに煙たくなるはずだわ。平気な私も何なのかしら?)
 詩穂理は心中で思う。

「のぞみくんのように元々吸っていたものが残るか、ここで新たに喫煙癖がつくかだ」
 これも後でわかるが、恋人がいるものはみんなその「彼氏」も喫煙者だった。
 安易に思えば「うつされた」口かもしれない。
「別に非喫煙者を排除するつもりはないが、私もここでタバコをやめたくはないので吸っているだけなのだが、向こうから逃げていく。君も嫌だったら遠慮はいらないぞ」
「えー。シホちゃん逃げちゃやだぁ」
 のぞみがタバコを持ったまま腕に絡みついてきた。
「……初対面でもうその呼び方ですか?」
「いいでしょ。同じ一年だし。あたしのことものぞみでいいから」
遠藤さん。タバコの火が危ないから離れてくれます?」
 煙たいとは言わない。
 自分でも驚くほど煙には耐性があった。
(変なところでお父さんに助けられたわね)
 そう思う詩穂理だった。

「そうそう。一つ忘れていた」
 七星が切り出した。
「見てのとおりわがサークルは全員女子だが、頭に漢字が一つつく」
「え? まさか」
「察しがいいね。そう。みんな『腐女子』だ
 一斉に薄い本を取り出す。
 ほとんどが男性キャラがあられもない姿をしている表紙だった。

 父親が喫煙者故に煙では逃げなかった詩穂理も、この瞬間だけは逃げたくなった。
 しかしのぞみがそれを逃がさず、逃げそこなった。
「放して。放してください」
「いやぁ。せっかく同じ年の子が来たのに逃がしたくなぁい」
「でも私はそっちの趣味はないんです」
「心外だな。ろくに吟味もしないで断を下されるのは」
 これは部長である七星の言葉。
「せめて活動を見てから逃げてくれないかな?」
 彼女は一冊の薄い本を差し出す。
「これも……同人誌?」
「私の描いたものであるが、このサークルの活動を理解してもらうための『見本』として、入部希望者に見せている」
「はぁ」
 あまり乗り気でない詩穂理。
「論より証拠。これを観てもまだ考えが変わらないならしょうがない。相性が悪いということで、縁がなかったとあきらめるよ。無理強いは本意ではない」
「そこまで言うのでしたら」
 読んだ上でならまっとうに断れると思った詩穂理は、その漫画を読み始めた。

 数分後。詩穂理は涙をぬぐっていた。
「どうかな? 感想は」
 自信満々で尋ねる七星。
「こんな……こんな愛の形ってあるんですね。同性愛ということで周囲に理解されず、動物的には子孫繁栄を考えるなら異性に惹かれるものを、ただ一つの『好き』という思いで性別の壁すら乗り越える。なんて尊い……」
「そう。尊いだろう」
 詩穂理と七星。それぞれの「尊い」に若干のニュアンスの違いはあるがそれは誰も突っ込まないでいた。
「あたしは小説だけど読んでみてくれる?」
 伊藤はいらと名乗ったポニーテールの部員がやはり「薄い本」を差し出す。
「これもBLですか?」
 詩穂理の言葉は「警戒」というより「確認」に近かった。
「そうだよーん」
「とりあえず、拝読します」
 拒絶しなかった。

 また泣いていた。
「尊い。そして切ない。部長さんのまんがは視覚に訴えかけたけど、こちらの文章は読み込むだけ心に深く刻まれる。好きという気持ちに男と女もないんですね」
「それなら私のも」
「その次はこれも」
 まだ新人ののぞみ以外がそれぞれ「活動の成果」を詩穂理に見せる。
 もともと読書の好きな娘である。
 読むという行為に何の苦もない。

 高校時代。そのいかつい顔と巨体故に周辺に誤解されていた大地大樹を偏見で見なかったように、彼女もきちんと観たうえで判断する主義だった。
 そして男同士の恋物語に「美しさ」を見出してしまった詩穂理。
 次々と「きちんと見て」いるうちにその耽美な世界のとりこになった。
 すっかり「沼」にはまり込んだ。
 それも底なし沼だった。

 詩穂理は入部届けにサインをしていた。

 それからというもの毎日のようにサークルに顔を出していた。
 父の影響でタバコの煙を苦にしない。
 それどころか逆に父の部屋を思い出して落ち着くのである。
 だから読書もはかどる。

 毎日のように顔を出すうちに、サークルメンバーとの仲も深まっていく。
 その意味でも落ち着ける場所になって行った、

 詩穂理自身は未成年ということで、のぞみを始め周辺からタバコを勧められても絶対に吸わなかった。
 のぞみだけは「親愛のしるし」であるが、他の面々はからかい半分である。
 だがこの煙だらけの部屋に入り浸るのだ。
 影響がないはずはない。

 いつしか詩穂理は紫煙の無い状況が落ち着かなくなっていた。
 大抵はのぞみと行動しているからその副流煙があるのだが、別れた後で落ち着かなさを感じ始めていた。

 七月。
 すっかり打ち解けた詩穂理とのぞみは、もはや親友と言えるくらいに仲が良くなっていた。

「しーほーりっ」
「遠藤さん。あなたもお昼?」
「うん。一緒に食べよ」
 一緒に昼食をとるほどになっていた。そして共通の話題もできた。
「ねえ。昨日の『Free』見た?」
「見ました。いい話でしたね」
 のぞみに捕まった形で腐女子だらけの文芸サークルから脱出できないうちに、詩穂理までボーイズラブに抵抗なくなっていた。
 とはいえまだ「抵抗なし」であったのだが……

「ふう美味しかった。食後の一本」
 のぞみの喫煙癖にももう何も言わなくなった詩穂理である。しかし
「ねぇ。詩穂理もどう?」
「未成年ですから結構です」
 タバコだけは頑として吸わなかった。
 もちろん他の先輩たちのもだ。

 2013年。秋。
 やはりタバコにだけは手を出さないもの、文芸部にも所属を続けていた詩穂理である。
 腐女子の喫煙者そろいだが好人物ぞろいで、居心地のよかったサークルというのが理由。
 そう、タバコに「だけ」は手を出してなかった。
「詩穂理詩穂理っ。昨夜の黒バス見た?}
「見ました観ました。かっこよかったですよねぇ」
 このころにはそのサークルメンバーに感化されていた詩穂理であった。
「やっぱりあの二人って愛し合っている気がします」
 これは男同士の話だ。
 同性愛に抵抗無くなったどころか、自分から話し始めるほどに。
 そりゃそうである。
 サークルのメンバーの話題の7割がBLなのだ。
 そちらにも感化されていく。
(驚いたわ。私にこんな方面の属性があったなんて)
 高校時代に「沼」に引きずりこもうとしていた里見恵子のせいかとも考えた。
 しかし根拠はないが「元から」の気がしていた。

 2013年の冬。師走。
 コミックマーケット85.
「部長。買いもの行ってきました」
 大きなトートバッグに大量の同人誌。すべてBLのそれを入れて詩穂理がサークルスペースに「戻って」来た。
「なんだ? そんなものでいいのか?」
 七星も伊藤もすでにカートに限界まで薄い本を買い込んでいた。
「私、同人誌を買うのは初めてなんですよ。ほとんどは遠藤さんのお勧めで買ったし」
「それならいいが。終わったというなら少し代わってくれないか? ヤニが切れた」
 タバコを吸うしぐさをする七星。
「あ。はい」
 素直に交代する詩穂理。
「売り子初めてでしょ? 大丈夫?」
 副部長の伊藤が聞いてくる。
「実家が本屋なんです。店番はいつもなんで、接客も会計もそれなりに」
「それは頼もしい」
 それを言い残すと七星はタバコを吸いにスペースを離れた。

 やがてのぞみが合流すると今度は伊藤が交代していく。
 彼女も「ヤニが切れた」ということだ。
 親友同士で売り子ということになり、おしゃべりが盛り上がりだす二人だった。
 もちろん話題はBL。
 この時点で詩穂理は文芸サークルの面々に「毒され」かなりきわどい話までできるようになっていた。
 もはや「一人前」の腐女子になっていた。
 この親友の影響は計り知れない。

 キャンバスライフは楽しいことばかりではない。
 その目立つ胸故どうしても男子の「性的」な視線が集まる。
 当人たちはさりげないつもりだったが、詩穂理にしたら視線が突き刺さるような感じだった。
 もちろん不快感が募る。

 そして意外な遺恨まであった。
「おいおい。お前のおやじはそんなことも教えなかったのか?」
 人前で公然と詩穂理を「笑いもの」にする大学教授。
 この男、毒島(ぶすじま)剛彦は詩穂理の父とはライバル関係にあり、そして敗れた形の男だ。
 彼にしたら仇敵の娘が来たのだ。ここぞとばかしにいびり倒す。
 唇をかみしめて耐える詩穂理。

 卒業して違う道を進んだ高嶺まりあ。綾瀬なぎさ。南野美鈴という高校時代の親友とはたまに電話する程度。
 恋人である裕生とも休日くらいにしか会えない。
 だから詩穂理の心のよりどころは毎日会う家族。そしてこの文芸サークルの面々だった。
「ねちっこいんだよねぇ。あの教授」
 くわえたばこで二年の斎藤若葉が相槌を打つ。
「あたしもアイツ嫌い」
 のぞみも相づちを打つ。
 その苦々しい表情を見る限り、話を合わせているわけではなかった。
「私、なんにもしてないのに」
 ここでは「縦の関係」が多く、しかも大半が年上だからか「素直に」愚痴をこぼすことも多くなった詩穂理である。
「気にするな…ってのも無理か。まぁ愚痴ならいつでも聞いてあげるから」
 若葉は新しいたばこを口にした。
「あんたもどう?」
「いえ。まだ未成年なので」
「そうかい」
 無理には勧めなかった。

 学内のストレスはほとんどこの煙たい部屋で晴らされていた。
 完全にどこよりも落ち着ける場所になっていた。
 もちろん七星やのぞみという「仲間たち」の存在が大きい。
 詩穂理自身もそう思っていた。

 だが彼女も副流煙を吸い続けるうちにニコチン中毒に陥っていたのは気がつかなかった。
 それでないところでは落ち着かなくなっていたのだ。




 そして月日は流れ2014年9月12日。
 文芸サークルの部室で盛大にクラッカーか打ち鳴らされる。
「詩穂理。誕生日おめでとーっ」
 槇原詩穂理。二十歳の誕生日であった。
「ありがとうございます」
 礼を言う詩穂理。
「みんなからのプレゼントだ」
 そろいもそろって薄い本。それもBLだったが
「ありがとうございますっ。あっ。これ私の好きなカップリング。覚えていてくださってたんですね。こっちは神作家のレア本じゃないですか。私のためにわざわざ」
 気づかいとかで喜ぶふりじゃない。
 本気で喜んでいた。
 すっかり腐女子だった。

 二十歳になったということで「パーティー」も酒がある。
 ただでさえフランクな関係がアルコールでさらに砕ける。
 詩穂理も二十歳ということで初の飲酒を試みた。
「あ。これなら飲めます。ジュースみたいで」
 ちなみに缶入りのスクリュードライバーてあった。
 さすがの博学をもってしても機会がなかったので、これが別名「レディ・キラー」とは知らない。
 まさにジュース感覚で飲んでしまう。
 当然、それなりに酔っぱらう。

「これで大人の仲間入りだねぇ。どう? 一本」
 打田がタバコを差し出してくる。
「先輩。私は未成……あっ」
「それは昨日まで。もう法律でも吸っていい歳になったんだし。記念にどう?」
 成人したことで逃げの定番台詞。「未成年だから」が使えなくなっていた。
 何しろ酒まで飲んだ。
 そして酔っていた。

 今までさんざん「仲間たち」の勧めを断ってきたのだ。
 彼女たちにしたらからかいがほとんどだが、このサークルで詩穂理だけが吸わなくて、なんとなくそれであと一歩仲間になり切れてない気がしていた。
 何しろ後輩まであっという間に喫煙癖がついてしまったのだ。
 つかなかったものは逃げた。
 詩穂理は驚異的な存在だった。

 いろんな愚痴なども受け止めてくれた面々。
 かつての高校時代のまりあたち同様に、大切な人たちになっていた。
 さすがにこの場のだけは断りづらい。
(仕方ないわ。一生に1本くらいなら)
 酔いに任せて意を決した。
「それじゃ一本だけ」
 差し出されたたばこを左手で取った。
「おおーっ」
 妙な盛り上がり方をする一同。

 生まれて初めてのタバコを口にくわえた。
 吸い方を教わりつつ火をつけた。
 そして目を閉じて深く吸い込む。
 熱い煙がのどを通り灰に達するのに、意外にもむせなかった。
「ぷはっ」
 その煙を吐き出す。とたんに拍手が沸き起こる。
 同時にのぞみが抱き着いてきた。
 くわえたばこのままで詩穂理の右腕に自身の左腕を絡め、空いた右手でピースサイン。
 詩穂理も左手に火のついたタバコを持ったままの状態でフラッシュが光る。
「遠藤さん?」
「えへへー。詩穂理の初めてのタバコ。その記念写真」
 スマホではなくコンパクトデジカメで撮影していた。
 のちにその写真が写真立て付きで渡されたときは詩穂理は苦笑したものの、なんとなく温かいものが胸を占めた。

「いやぁ。いい吸いっぷり」
「生まれて初めてとは思えないわ」
「実は吸ってたんじゃ?」
「違いますっ。ほんとに初めてです」
「詩穂理君。灰が落ちるぞ」
「あっ。いけない」
 灰皿に灰を落とす。
 そのまま捨てないで律儀に口に運び、かなりのところまで吸った。

 これで義理は果たした。
 詩穂理にしたらそんなところだった。だが
「詩穂理ぃ。あたしのも吸って」
 のぞみがタバコを差し出してきた。
「遠藤さん。その言い方だと変なことをイメージさせます」
「なにそれ? それよりね、あたしのも吸って。親愛のしるしで」
「いえ。もう一本もらったから」
 からかいで出されているのは理解していた。
 しかし、同じ「文学少女」たち相手に心を開いた詩穂理は、それに応じるべく一本だけ吸った。
 それで終わりと思っていたが、むしろのぞみはそこからだったらしい。
「むー。どうしてもいやなの?」
「はい。タバコは百害あって一利なしですから」
「あるよ。いいことあるよ。タバコ吸っているととても落ち着くの」
「それは依存症です。むしろ吸わないと落ち着かないというべきです」
 強く否定する。それは自分が紫煙で落ち着くのも認めたくなかった思い故だ。
 実は当人もそうなりかけていたのだが。

「どっちでもいいよ。吸わないなら」
 のぞみは一本の煙草を口にして火をつける。
 思い切り吸い込むと、詩穂理の口に唇を重ねて、吸い込んだ煙を送り込む。
「おおおーっ」
 さすがに腐女子の集まり。
 驚きはしても否定的な人間はいない。
 逆にはやし立てる。

「むーっ。むーっ」
 たまらないのが詩穂理だ。
 同性にキスされた挙句に、強制的に紫煙を送り込まれているのだ。
 たっぷり一分。やっと口を離した。
「どう。口移しのタバコの味は」
 酔いのせいか。それとも羞恥がほほを染めていた。
「な、何てことするんですかっ!?」
 当然のクレームだ。
「だってあたしのタバコは拒否されてんだもーん。なんか友情を否定されているみたいでいや」
 そこでふとひらめいた。
「そうだ。友情じゃなくて愛情でもいいよ。あたし、詩穂理とだったら寝てもいいな」
 脅しだよな?
 そう思った詩穂理だが、なにしろ成人した今でさえ父親と一緒に入浴する娘である。
 他の「思考」もずれていても不思議はない。
 つまり本気かもしれないと思った。
「吸うからそれは勘弁してください」
 拒否するたびにキスされてはたまらないので、つい口に出た一言である。

 それからという物、サークル活動中に周辺から差し出されるタバコを断れなくなった詩穂理だった。
 のぞみ以外のメンツとしては、からかいだったが律儀に受け取っていた。
 そして生真面目な詩穂理はもらいっぱなしではいけないと思い、初めは「お返し」ようにタバコを買っていた、
 しかしそうなると「もらわないで自分のを吸う」ことになり、その分サークル活動以外でも口にすることが多くなっていた、
 のぞみと行動を共にすることが多いからだが、食後の一本どころか講義と講義の合間に吸うようにもなってきていた、
 サークル活動中のタバコもかなり本数が増えた。

 詩穂理にしたら自分を性的に見る男子の目や毒島教授のストレスが、この部活で緩和・解消されていた。
 その際にタバコが付いてくるので、完全に条件づけられてしまった。
 詩穂理にとってタバコはストレスを和らげ、安らぎを与える存在になっていた。
 ものの見事に引きずり込まれた。

 こうなるとどんどん口にする機会が多くなる。
 最初はサークルの部室限定だったのが、次第に大学内でならどこででもと、
 さらには大学から帰るときに喫煙可能エリアで吸うようにすら。
 二十歳の誕生日に初めて煙草を口にしたというのに、半年後の2015年三月時点じゃ自宅以外じゃどこでも吸うようになっていた。
 銘柄も最初は軽いのだったのに、きついものを吸うようになって行った。
 さらにはどんどん本数が増え二日でひと箱が無くなるほどに。

 自宅で吸わなかったのはやはり家族の目である。
 母も妹も父のタバコにはいい顔をしていない。
 それもあり無用の衝突を避けるべく詩穂理は家。そして裕生の前でだけは吸わないでいた。

 だがある日曜日のことだ。
 レポートを作成していて行き詰まり、資料を借りようと父親の書斎に出向いた。
「お父さん。いる?」
 不在だった。
「トイレかな? それとも散歩かな。それなら勝手に借りちゃうかな?」
 目的の本を探し始めたが机の上のタバコに目が留まる。
(お父さんのタバコ……そういえば子供のころ、よくおさんぽでお話ししてくれた時に吸っていたなぁ)
 ノスタルジックな気持ちになる。
(私に喫煙癖が付いたのは遠藤さんというよりお父さんの影響かも)
 タバコくさいからと母も妹も寄り付かないこの書斎が、詩穂理は大好きだった。
 けどまだ足りない。父の燻らすたばこから漂う紫煙が。
 そう思ったら彼女は、もうすっかり慣れてしまった手つきで父のタバコを口にして、そして火をつけた。
(これがお父さんの吸ってたたばこの味なのね)
 こうなるとのぞみのファザコンを笑えないなと詩穂理は思った。

「なんだ? 詩穂理。お前、いつからタバコを吸うようになったんだ?」
 いないと思っていた人物に不意に声をかけられて、彼女は心臓が飛び出るほどに驚いた。
「きゃああああああああっ」
「浸って」いたため父が戻ってきたのに気がつかなかった。
「ち、違うの。これは違うの」
 慌てて弁明する。
 しかしその左手にはしっかりと火のついたタバコが。

「隠さなくていい。怒ってないから」
 父親は穏やかに言う。
 娘に近寄るとその左手を指し示す。
「ほれ。灰が落ちるぞ」
「あ。いけない」
 灰皿にすてる。
 そして顔色をうかがう。
 にこやかに微笑むだけだ。
 詩穂理はそれで吸い続けることにした。

「うまいか?」
 あくまでも穏やかに父親は言う。
「わかんない。けど、癖になっちゃって」
 まるでいたずらを見つかった子供のような口調の詩穂理。
「そうか」
 あくまでにこやかに父親はうなずく。
「なぁ。昔よく公園に散歩に連れて行って、いろんな話してやったの覚えているか?」
「覚えてる。とても好きな時間だった」
 これははっきりとした声で言う。
「ああ。あのころは小さな子供だったが、もうたばこの吸える大人にったか」
 感慨深げに言葉を紡ぐ。
「お父さん」
「ほれ」
 未開封の新品タバコを差し出す。彼は煙草を買いに出かけていたのだ。
「俺は『女がタバコを吸うな』なんて言わんよ。同じ人間だ。差別じゃないか」
 タバコには思うところかあったらしい父は続ける。
「自分の責任で、人に迷惑かけないのであれば、健康を害さない範囲でいくらでも吸えばいい」
「え」
「はははっ。ダメなオヤジだな。肩身が狭いからって娘を味方につけようってんだからな」
 本音である。だから心に響いた。
「なるよ。私がお父さんの味方になる。タバコの相手するから。昔みたいにお話しましょ」
 この時はタバコ吸いたさに口にしたのではなく、昔のように話をしたいと思っての発言だった。
「そうか。それじゃ今からベランダに出るか」
 春めいてはきたがまだ寒い。
 煙が充満するのは嫌いじゃなくなっていた詩穂理だ。
 しかしそれ以外に止める理由がある。
「待って。お母さんや理穂もいるのよ」
 反対派の二人だ。
 ベランダなどで一緒に吸っていたら、あっという間に見つかり何を言われるか。
「こそこそするな。お披露目だ」

 案の定、詩穂理が喫煙者になっていたことには、母親はすさまじい衝撃だった。
「不覚だったわ。あなたのタバコのにおいでマヒしてたのね」
 だから詩穂理がタバコくさくても不審に思われなかったのだ。

「ほんとだ。詩穂理お姉ちゃんの手もタバコくさい」
 詩穂理の利き腕である左手。そのにおいをかいだ理穂が顔をしかめる。
「まったく。あんたはまじめだから心配してなかったのに。タバコ吸うようになるなんて」
「ごめんなさい」
 縮こまる詩穂理。
「おいおい。もう子供じゃないんだ。好きにさせてやれよ」
 父はわかるが
「そうね。その辺は詩穂理の勝手だわ」
 意外にも姉・美穂の擁護があった。
「それにしたってタバコは女の子がやるにはイメージ悪すぎ。全く。どこで覚えたの?」
「それは……腐女子仲間が」
 母親に叱られ根がまじめな詩穂理はつい答えてしまった。
「ふじょし?」
 怪訝な表情をする母。
 口を押える詩穂理。
 これも理解しない人は到底無理な趣味だ。

 しかし意外な展開が待っていた。
「え? まさかお姉ちゃんまでホモ好きにったの?」
 17歳になった妹・理穂が叫ぶように言う。
「まで?」「ホモ好き?」
「はっ!?」
 今度は理穂が口を押えた。
「ホモって……詩穂理。あんたやおいにも手を出したの?」
「やおい?」
 今度は理穂がけげんな表情をして母が口を押える。
 さすがに「パンピー」の父も把握できた。
「おい。聞いてないそ。詩穂理。理穂。お前たち、ホモ好きだったのか?」
 タバコには寛容な父も「男としては」さすがにBLは抵抗があった。
「うわ。引く」
 バリバリに肉食の女子である美穂には女同士は論外。男同士もNGだった。

 盛大な自爆大会だった。

「つまり……要約すると、お父さんと詩穂理がタバコを吸って、お母さんと理穂。そしてこっちも詩穂理がホモ好きと」
 どちらにも無関係と思われる美穂がまとめる。
「ホモっていうのやめて」
「そうよ。JUNEって言いなさい」
「JUNE?」
 娘たちはきょとんとするが同世代の父は多少わかるだけに顔をしかめる。
 ふと詩穂理は思いついたことを試す。
「ねえ。お母さん。理穂。『ヤマト』の古代と沖田艦長の声わかる?」
「バカにしてんの? 富山さんと納谷さんに決まってるでしょ」
「それ誰? 小野Dと菅生さんじゃない」
「は?」
 見事な母娘でのジェネレーションギャップだった。
 ちなみにこの時点で富山敬氏も納谷悟朗氏も故人である。

「つまりお母さんと理穂もその趣味を隠してたわけね」
 美穂がやたらに詩穂理に優しい。
「しょ、しょうがないじゃない。ほんの軽い気持ちで友達に付き合ったら大ハマりしちゃって」
「理穂。それに詩穂理。二人ともお母さんの子ね。私も昔、晴海のコミケに参加していたし。コスプレもしてたのよ」
 懐かしげに言う母。もう開き直ったらしい。カミングアウトだ。
「……私がコスプレになじんでしまったのも血筋だったのかしら?」
「それじゃ俺の血が詩穂理に吸わせたのかもな」
「あたしにもね」
 なんと美穂がたばこを口にしていた。
「美穂おねえちゃんまで!?」
「あたしは彼にうつされたのよ。詩穂理も情けないわね。女にうつされるなんて」
「そんなこと言ったってヒロ君はタバコを吸わないし……そうよ。ヒロ君にだけは絶対にばらせないわ」
 大雑把な性格の裕生だが母が水死したトラウマからくる女性の体調不良にたけは神経質なところがあった。
 いうまでもなく女子の喫煙にいい顔するはずもない。当人も吸わないほどだ。
「あー。気を使いすぎと思っていたけど、裕生さんとデートの時の準備が入念すぎたのはタバコの痕跡を消してたのね」

 結局反対派も「弱み」を握られルールを定めるということで折れた。
 母。碧が確認していく。
「いい? うちで吸っていいのはお父さんの書斎。ベランダ。それからあなたの部屋。その三か所だけよ」
「はい」
「ベランダの灰皿の掃除は二人でしなさい。あとはそれぞれの部屋のは自分で」
「はい」
「そして詩穂理。たまにお母さんにも今の話しなさい」
「近況ですか?」
「それと最近のはやり。ね。最近はどんなのが流行ってんの?」
 それが「カップリング」と察することができてしまった詩穂理である。

 結局、その話をするときだけは喫煙OKとまで言われた。
 許可されただけで別にそうまで吸いたいわけじゃなかったが、いざ母親相手にBLトークとなると恥ずかしくて、タバコに手が伸びるようになっていた。

 自宅で吸えるようにって、一日一箱を吸うようになった。
 ますます依存度が高まる。
 自室での調べ物などの際には、まずたばこを用意するようになってしまった。
 実際に頭脳労働の際が一番タバコの量が多かった。

 ある日のこと。
「ただいま」
 大学から帰宅した詩穂理である。
「おかえり。お姉ちゃん。何か書き留めきているよ」
 先に高校から帰っていた理穂が封筒を見せる。
「書留? あっ。届いたのね」
 それが何かを察した詩穂理は開封していく。
「カード?」
 怪訝な表情をする理穂。
「うん。タスポ。これで自動販売機でもタバコ買えるわ」
「とうとうそんなものまで手にしたのね」
「いちいちお店で買うのはけっこう不便なのよ」
 喫煙者として確実にステップアップしていた。

 2015年4月。
 大学三年になった詩穂理。
 文芸部でも卒業した七星から上級生を差し置いて部長に指名されていた。
 そのプレッシャーと創作で頭を使うことから、タバコの本数が二日で三箱とさらに増えていた。
 自宅でもかなり口にする。

 そして吸う回数が増えるということは、それだけ火を扱うと。
 故に事故の危険性もはらんでいた。

「きゃーーーっ」
 詩穂理の悲鳴に「何事か」と家族が彼女の部屋に飛び込むと、ライターを手にしたまま泣きそうな表情の彼女がいた。
 表情の理由は一発でわかった。
「詩穂理。あんたライターの火を大きくしすぎて髪の毛こがしたでしょ?」
 美穂の指摘に涙目で頷く詩穂理。
 焦がしたのも毛先ではなくロングヘアの半ばあたり。ちりちりになっていた。
「あー。こりゃ切るしかないわね」
「やっぱり? もう。仕方ないなぁ。美容院の予約。できるかなぁ」
「詩穂理おねえちゃん。髪の毛切るの平気なの?」
「私、中学までは短かったのよ。理穂。長い髪がイメージになっていたから切れなくなっていたけど、いい機会だわ」
 当人は手入れの大変な長い髪を短くするのに抵抗はなかった。

 翌日。
「おお。似合うじゃないか」
「本当。すっきりしたわ」
「もっと短くてもいいかもね」
 美容院で肩口までの長さに切ってきた髪は家族に好評だった。
 文芸部の面々にも悪くない評価だったが「長いほうが可愛かったのに」というのぞみの声も。

 しかしこの後、二度までも髪を焦がしてうなじの見えるボブカットにまでなるのであった。
 当人は手入れが楽でいいと前向きにとらえていた。

「本当に中学の頃に戻ったみたいね」
 美穂がいう。
「ここはずいぶん大きくなったけど」
 自分もEカップの理穂が詩穂理のHカップを持ち上げる。
 高校時代に達していたがやっと止まったと詩穂理は安どしていた。
「母さんの若いころに似てるよ」
「親子ですものね」
「よし。比べてみるか」
 父親が立ち上がると
「キャーっ。やめてぇーっ」
 母がとんでもない大声で止めた。
 それが逆に娘たちの好奇心に火をつけた。
 結局押し切られて学生時代のアルバムを見ることに。

「これ、お母さんなの?」
 若いのは当然。髪が短いのもいい。
 しかしあまりに服。そして化粧が独特だった。
「そうよ。大学時代にしつこい男の子がいてね。追っ払いたくて一番男に嫌われそうな格好してやったわ。その時はだめ押しでタバコまで吸って見せて」
 女子のタバコに風当たりが強いのは今も昔も変わらない。
「そこまで嫌われているの? その人」
「もー。ほんとしつこくてね。粘着質」
「毒島の奴はお前に本気だったようだしな」
 どこか懐かしような夫婦の会話。
 しかし聞き逃せない「名前」が。
「毒島!?」
 詩穂理がオウム返しにする。
「……知っているのか?」
「うん。教授の一人がその名前。毒島剛彦という名前」
「同姓同名だわ。もうちょっと聞かせて」
 奇妙な偶然と思い、照らし合わせて見たら「同一人物」という結論に至った。

「親の因果が子に報いとは言うけどなぁ」
 苦々しく父がいう。
「よし。詩穂理。あんたもやりなさい」
「やりなさいって……ええっ? この格好をするの?」
 アルバムを指差す詩穂理。心なしか青ざめている。
「そういうことならまっかせて。コスメならそろってるわ」
 あっという間に美穂によるメイクが始まる。

 試してみたらさすが母娘。
 似た感じになる。
「はい。手を出して。こっちはしばらくそのままで行けるわね」
 爪にマニキュアを処置していく。
「本当に……このお化粧で大学に行くんですかぁ?」
 メイクはきついが泣きそうな声だ。
「あしたの朝だけはまたやってあげるから。そのあとは自分でできるようにしなさいね」
 いくら苦手を避けるためとはいえとこんな格好をするのか。
 詩穂理は暗澹たる気持ちになった。
「あったわ。当時のスーツ。詩穂理じゃ胸がきついかもだけど試してみなさい」
 母がとどめを刺すべく押し入れから衣装を出してきた。

 翌朝。
 ざわめくキャンパス。
 槇原詩穂理といえばもはやこの大学で知らぬものないほどとびぬけた頭の良さを誇る才媛。
 顔立ちは確かにきつめだったし、文芸部に毒されて喫煙者になったのも知られていた。
 しかしこの変貌はさらに驚きを招いた。

 最も驚いていたのは毒島教授。
 はるか昔、自身がこの生徒たちと同じころ。
 こっぴどい「心の傷」を与えた女がここにいる。
「ひ、平片」
 詩穂理の母。碧の旧姓である。
「おはようございます。先生」
 いつになく「クール」に詩穂理は口を開く。
 もっとも何かとつらい目に合わせる男。
 いくら「教授」でも尊敬できない。
 だから楽にできた。
「槇原。その姿は?」
 だらだらと脂汗がにじみ出ている。
 青春の「汚点」が蘇る。
「絶対に平片碧を俺の女にする」と二日前のコンパで宣言して挑んだ当時。
 それを知った碧はすさまじい拒絶を示した。
 長い髪をバッサリ切りボブカットに。
 隈取のようなアイライン。碧の口紅。
 ビジュアル系のような強いメイク。
 ただしこれは当時ビジュアル系にはまっていたのもあったが。
 十本の手の指の爪はすべて黒く彩る。
 黒いスーツ姿は事務的で冷たい印象を与えた。
 とどめに吸わないはずのタバコをくゆらせてまで「嫌いなタイプ」に変貌しての拒絶。

 毒島青年は大学中の笑いものになった。
 その時の記憶が蘇るほど再現された詩穂理の姿。
 違うのは眼鏡の有無と、タバコの吸い方。
 詩穂理のほうが慣れてしまっていた。

 左利きの詩穂理か当時を再現すべく右手でタバコを持ち、咥えると火をつけた。
 指導する相手の前で喫煙など普段の詩穂理なら絶対にしない。
 それをやってのけるほどに、この男にはいびられていた。
「心の傷」をえぐる。

「そういえば先生。先ほど母の旧姓を口にしてましたけど」
 ギクリ。
「ふふ。まだ母のことを愛しているのですね。でもご安心を。母は父と深く愛し合ってますから」
「ぬあああああああああっ」
 とどめの一言だった。
 当時言われた言葉だった。
 惨めな気持ちが蘇り、毒島は脱兎のごとくその場を去り、十日ほど出てこなかった。

「詩穂理ぃ。どーしたの。その格好?」
 のぞみが抱き着いてきた。
 右手にはタバコ。さすがに火はついてない。
「あー。これはですね。遠藤さん」
 素に戻る詩穂理。
 真っ白いファンデーションにまるで隈取のようなアイライナー。
 真っ黒い爪。
 そして黒パンツスーツ。
 クールビューティーだった。
「素敵よ。かっこいいわ」
「……男の子に『可愛い』がほめ言葉にならないのと同じだと思うわ」
 女子に「かっこいいもないだろう」と言外に。

 毒島に泣かされていたのは詩穂理だけではない。
 幾人かの女子もだ。
「槇原先輩」
 それらが一斉に詩穂理を囲む。
 詩穂理の後輩にあたる面々だ。
「先輩。すごいです。あの嫌な男を」
「私もずいぶんひどい目にあってたから」
「すかっとしましたぁ」
「それは良かったわ」
「決めました。私も文芸部に入ります」
「ええっ?」
「私も」「私も入ります」
 今ので完全に詩穂理が下級生の女子たちの心をつかんでしまった。

 本当に入部した面々は詩穂理にあこがれて彼女のまねをしてタバコを口に。
 そして腐女子の素質もあったような面々が残る。
 責任を感じた詩穂理は、彼女たちの「あこがれ」を壊さないようにした。
 以後はスーツ姿が大学での姿になる。
 もちろん強いメイクもトレードマークに。
 眼鏡も黒縁からノンフレームのものにした。
(まあスーツはセーラー服やブレザーの制服みたいなものね)
 そう割り切ってクールビューティーを演じた。

 ますますたばこの量が増え、一日二箱になった。

 ちなみに「クールビューティー」の反動で、休日はパステルカラーでふわふわした印象の女性的な服が多くなった。
 それでもタバコは手放せないが。

 五月連休。
 久しぶりにまりあ。なぎさ。美鈴に遊園地で会うことになったときも最初はそんな可愛い服にと思った。
 しかしまりあと被りそうだと思った。
 美鈴もかわいい系が多い。
 これでなぎさもだったならいっそそろえてしまう手だったが、間違っても着そうにない。
 スカートこそ高校時代に『呪縛』が解けてはくようになったが、相変わらずのパンツルック派である。
 結局、バランスを取って詩穂理もパンツスーツで。

 そして当日。
「あれぇ。詩穂理。久しぶりに見たらずいぶん髪の毛を思い切ったねぇ」
「綾瀬さんもますます短くなりましたね」
 高校時代のポニーテールは跡形もなく。
 うなじの見えるショートカットだった。
「わたしが高3の一学期にしていた髪型にくらべたらかなり長いわ」
 肩口のセミロングに緩いパーマをかけたまりあがいう。
 詩穂理の予想通り気合の入った可愛らしいワンピースドレスだった。
「あの時は丸坊主にしてたからな。あんた」
 とある理由から三年に進級と同時に『女を捨てて』男装を。
 今度はウィッグではなく丸坊主にしたのである。
「しほちゃんまで髪の毛切ったの? 美鈴がやっと長くしたのに」
 高校時代は短かった美鈴が、逆に背中に達するロングヘアになっていた。
(みんな変わっていく。けど、私がヘビースモーカーで腐女子というのはさすがに激変よね)
 それは何となく胸にしまっていたのだが。

 ひょんなことからそれがばれた。
 この日の遊園地はコスプレイベントでそこら中にコスプレキャラかいた。
 その中に「ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース」の空条承太郎。そして花京院典明のレイヤーがいた。
 ともに女性。そして「お仲間」だったらしく「女子受けのいい」ポーズで絡んでいく。
 ジェットコースター後にベンチで休憩していたら、その撮影会が他のペンチで始まった。
 思わず目が釘付けになる詩穂理。そして…

 それが済んで思わず笑顔になる詩穂理。
「いやぁ。いいもの見せてもらっちゃったわ。私は五部のブチャラティとアバッキオのカップリングが好きなんだけど、今の二人もよかったわぁ」
 つい腐女子のノリに戻り、さらに普段の喫煙者としての顔まで出てしまった。
 ひた隠しにしていたタバコを口に咥えてしまった。
「そうなの? わたしはジョナサンとディオがいいんだけど、やっぱり同じだわ。でもジョナサンとディオの子供がいるのよね」
 何とまりあまで煙草を口に。高級そうなライターで火をつける。
「あ。高嶺さん。私のも」
「いいわよ……って、詩穂理さん!? あなたいつからタバコを?」
「そういう高嶺さんこそさらっと口にしてるじゃないですか。しかも今とんでもないことも口にしてて」
「しほちゃん。まりあちゃん。二人ともたばこを?」
「しかもあんたら? そろって腐女子かよ!」
 詩穂理とまりあ。
 二人そろって喫煙者で腐女子になっていたことがばれた瞬間だった。

 まりあはどちらも恋人である優介の影響でなったと判明する。
「はぁー。やっぱり友達って似るのかしら。お二人はどう?」
 女子向けのライトなたばこを差し出すまりあ。
「いらない。百害あって一利なし」
「美鈴も。お酒ならいるけど」
「えっ? 美鈴さん。お酒飲めるのっ?」
 本気で驚くまりあ。
 彼女は体質でダメだ。
「飲めるもん。美鈴もう大人だもん」
 説得力の無い口調である。
「どのくらいですか」
「昨夜は……ボトルあけちゃった。てへ」
「そ、そんなに」
 化粧してても童女にしか見えないこの美鈴が、まさかのうわばみで三人は驚く。
「それじゃ綾瀬さんは?」
「…………飲めない」
 恥ずかしそうに言うなぎさ。
「これも意外だわ」
「うるさいなぁ。みんなしていうんだよなぁ。あたしが飲めないのはおかしいって。体質なんだからしかたないでしょ」
 最後に会った時に全員未成年だったのだ。わかるはずもない。

「それじゃあさ……BLのほうはどう?」
 とんでもないことを言い出すまりあ。
「お断り」
「美鈴もちょっと」
「あら? 崇高な愛の物語がダメですか?」
「す、崇高?」
「ええ。異性間じゃ種族保存のための動物的本能で営むけど、そういうのの無い二人のそれはまさに純粋な愛。純愛」
「純愛……恋物語なの?」
 二人の熱弁に心が揺らいできた美鈴。
「ええ。どうですか? 南野さん」
「ちょっと興味が」
「いいわよいいわよ。男の子同士の恋愛」
 まりあが後押しで本当に楽しそうに言う。
 即売会で悲鳴を上げてBL本を投げたのとは別人としか思えない。
「まりあちゃんがそこまで言うなら、美鈴も試してみようかな?」
「バカ! やめとけ。美鈴」
 しかしなぎさの制止もむなしく、美鈴はBLに首を突っ込んでしまった。
 その上、詩穂理の提案で同人誌づくりにも関心を抱いた。
 三人で話し始める。

 蚊帳の外の形になったなぎさは、詩穂理たちと縁を切るか自分も飛び込むかの二拓を迫られ、腐女子への道を選んだ。

 猥談となるとなぎさが一番だったが、実はこの時点でもうすでに純潔ではなかったとのちに判明する。

「それにしてもあたしら相手だからタバコもBLも別にばれても平気だったろうけど、風見君はいい顔しないんじゃない?」
 なぎさの指摘が詩穂理をこわばらせる。
 そうでなくても女子のタバコに男はいい顔しない。
 ましてや裕生は女性の体調にだけは神経質なところがある。
 お世辞にも健康に良いとは言えないたばこを吸うようにったとは言い出せない。

 とある日曜日。
 その裕生との久しぶりのデートである。
 父親がスタントマンで鳴らした人物。
 その血筋もあり、そして幼い日々からあこがれて鍛錬を積み重ねてきた裕生は、既に身体能力だけならトップクラスだった。
 故に若手ながらも起用が多く、休みが取れず。
 これも半年ぶりくらいのデートである。

 入念に体を洗う。特に髪にタバコのにおいがついてないかチェック。
 服ももちろん普段のものではなく、フェミニンなブラウスとスカートである。
 まりあたちにばれた時の反省から、バッグからはタバコそのものどころかライターや携帯灰皿も取り除いた。
 万が一にも裕生の前でそれを出してしまわないためである。

 家が隣同士の二人だが待ち合わせは駅前だった。
 それというのも午前中は裕生の方がスタントの練習があり、稽古場からデート直行だからだった。
(もう。仮にも恋人との待ち合わせなのにこんな日まで……それが夢とは言え)
 理解しているつもりだったが、いつまでも待ち続ける彼女はじれ始めていた。
 無意識にバッグの中をまさぐる。しかし
(何やってんのよ。タバコもライターもタスポも置いてきたでしょ)
 しかし駅前にはコンビニもあるし、喫煙エリアもあった。
(まだ待つのかしら? だったらその間くらい)
「ヤニが切れた」彼女はふらふらとコンビニに向かいかける。

「お待たせ。シホ」

 少したくましさは増したが、基本的に高校時代と変わらない裕生がTシャツの上からジャケットという姿で現れた。
 心臓がのどから飛び出そうに驚いた彼女だが、タバコを手にしてはいない。
「悪い。遅くなっちまった。腹減ったろ」
 まずは食事という予定であったので、それに遅れた裕生は詩穂理が空腹に耐えかねて何かを買うと勘違いした。
「え。ええ。でもごはん前に食べちゃダメよね」
 後ろめたい詩穂理は声が上ずるが、気が付かれずに済んだ。
(相変わらずの鈍感……ううん。そうじゃなくて私がタバコなんて吸うとは全く考えないのかも)
 高校時代までの詩穂理を知っていれば、そんなイメージにもなる。
 むしろ喫煙者に注意するイメージだ。
(信じてくれているともいえるわ。そしてそれを裏切っている私……)
 ますます後ろめたい。
「オレも腹減ったからよ、飯食いに行こうぜ」
「そうね。いきましょ」
 裕生の明るさが詩穂理の後ろめたさをわずかに軽減させた。

 しかしその思いやりがまた後ろめたさを増す。
「詩穂理のために」とレストランで禁煙席を希望したのである。
 ここ最近はのぞみとともに外食となると、逆に喫煙席である。
 それどころか空きがない時は店を変えるか、空くのを待つ始末である。
 それほどまでにタバコが切れなくなっていた。
 なのに裕生は禁煙席を選ぶ。
 詩穂理の健康。シンプルに副流煙の不快感を避けてである。

 たとえ恋人にだって隠すことはある。
 そしてこの場合「思いやり」がのしかかるほどに重かった。

 もともと母の事故死以来、女性の健康にだけは過敏に反応する裕生。
 この日「も」とにかくタバコを避け、歩道を行くときは車道側には自分が行く。
 その気遣いがうれしい半面きつかった。
 どれほど自分が喫煙者になったと打ち明けたかったことか。
 しかしそれが裕生を怒らせるのは明白である。
 エゴではない。
 ただただ詩穂理には元気でいてほしいだけである。
 それがタバコを吸っていると知れたら、烈火のごとく怒るだろう。

 打ち明けてケンカになるか?
 それともひたすら隠し通す……それこそ、墓の中にまで?
 タバコを止められれば一番良いのだが、この時点でさえ煙が恋しい。
 二十歳の誕生日に生まれて初めて吸ってから、わずかな間でタバコなしではいられなくなっていた。

 食事をして、映画を見て。
 喫茶店で映画の感想を語り合う。
 春の公園で花を愛でる。
 心の休まる時間であった。
 やっとそれでタバコのことを忘れられた詩穂理である。
(私がタバコを止められるとしたら、ヒロ君が止めてくれることになりそうだわ)
 裕生がもたらす安らぎがそう思わせた。

 夜になる。
 帰宅は同じ方向。
 男の裕生だが父親が師匠でもあるのだ。
 だからそのまま家を出ずに住んでいた。
 それゆえ「お隣同士」のふたりは同じ場所に帰る。
「今日はありがとう。楽しかった」
 笑顔で言う詩穂理。
「オレもだぜ。シホ」
 こちらも快活な笑顔を見せる。
 しかし今の二人は幼馴染も高校生も過ぎ、恋人同士だった。
 唇を重ねる空気になる。
 そのたびに詩穂理はキスがもたらすのとは別の「ドキドキ」がある。
(タバコくさいって思われたらどうしよう)
 だからどうしても浅いキス。
 唇か触れ合うだけのキスにとどまる。
 本科的なキス。そしてそれより先「ちゃんと結婚してから」ということで裕生も納得している。

 キスするたびウソをついている申し訳なさに泣きそうな気持になる詩穂理だった。

「ただいま」
 疲れた感じで帰宅する詩穂理。
 挨拶もそこそこに自室へと向かい、机の上に出してあったタバコを出してくわえると、火をつけて深く煙を吸い込む。
 まるで海に潜って息を止めていて、海面から出て呼吸をしたように大きな息をする。
「はぁ。生き返ったわ」
 だらしない笑顔が出る。
「シホおねえちゃんさぁ……そんなに疲れるんならいっそ裕生さんに打ち明けたら? 『私はタバコを吸ってます』て」
「見かねて」理穂がタバコくさい部屋に入り込んで一言を言う。
「できるわけないでしょ。ケンカになるわ」

「いつまでも隠し通せるとは思えないけどなぁ。いっそ別れちゃう?」
 完全に他人事である。
 どちらにしても禁煙という発想がない。
 もう理穂もこの姉のタバコを止めるのは諦めていた。
「それもいや。ああ。いっそヒロ君もタバコ吸いださないかしら。そうすれば気兼ねなく吸えるのに」
 今吸っていたタバコをろくに消さずに、新しいタバコに火をつける詩穂理。
 デート中の我慢の反動だ。
 ヘビースモーカーを通り越して、チェーンスモーカーになっていた。

「ついでに腐男子にもなってもらう?」
 詩穂理が「堕ちた」のはタバコだけではない。
 それ以前にBLの「底なし沼」にも頭までつかっていた。
「それはなんかいや。BLは女の子だけのものよ」
「確かに男の子も女子相手には猥談しないものね」
 理穂も腐女子になっていたので、これは話が合う。
 そもそもこのタバコくさい部屋にきたのも、詩穂理のコレクションであるBL本を借りにだった。

「このままじゃ裕生さんのお嫁さんなんて当分無理ね」
 大きすぎる隠し事であった。それも二つ。
「お嫁さんって」
 化粧していても赤くなったのがわかる詩穂理。
 くわえたばこで「ホモ本」を見るようになった彼女に残った純情だった。

 「大学に行ってからやりたいことを見つけよう。だからまずは勉強」という思いでいた詩穂理。
 裕生との結婚を意識し始めて、それがやっと見つかった。







 2016年11月。
 四年生になった詩穂理は相変わらず文芸部の活動を精力的にこなしていた。
 すっかり黒いスーツが定番に。
 それゆえ少し怖い雰囲気ができた。
 特にたばこを燻らしているときは雰囲気抜群で、ナンパな男は近寄らなくなっていた。
 裕生のいる彼女には全く問題なかった。
 もっとも女子にモテるのは悩みの種だった。

「遠藤さん。ちょっとこの絵を見てくれる?」
 相変わらず名字で呼ぶ詩穂理。
 これが「親愛の情」というのはのぞみも理解したので何も言わない。
「うわ。過激」
 裸の男二人が互いの股間を「しゃぶっている」図である。
「なんか構図が狂っている気がして」
 タバコに火を付けながら言う詩穂理。
「うーん。構図よりあたしらの頭がおかしい気がしてきた」
「……それもそうね」
 皮肉にもたばこを口にして「冷静さ」を取り戻した詩穂理が、怒りもせず同意する。

「詩穂理もすごいよね。卒業したら漫画家になるんだって?」
「遠藤さん。情報は正確にね。漫画は趣味よ。本当になりたいのはお嫁さんで、したいのは本に囲まれた暮らしなの」
 裕生との結婚を意識して、進路を定めた。
「本に囲まれた暮らし」のほうは実家の本屋を母に変わり切り盛りすることで得ることになっている。
 その傍らでBL趣味も続けようというのだ。
 見事に巻き込まれたまりあ。美鈴。なぎさともコミックマーケットへの参加を決め、そちらの原稿も作成中だった。

「うー。パパもやっぱりパパだったし」
 のぞみのファザコンだが、なんと二十歳以上年下の妹ができてしまった。
 それで父と母が夫婦という当たり前のことを認識し、やっと醒めた。
 それでも父親に対しては同世代の女性よりははるかに親密であるが。
「そして詩穂理も女だったのね」
 裕生と結婚したいのはすでに知られている。

「それにしてもその彼氏。タバコもBLも大丈夫なの?」
 耳の痛い質問だった。
「なるようにしかならないわね」
 若干居直った詩穂理である。

 三人の女が部屋に入ってくる。
「槇原部長。タバコ買ってきましたぁ」
 後輩に買ってくるように頼んでいたのだ。
「ありがとう。置いといて」
 お釣りとタスポを受け取りつついう。

「それにしても部長。すごいですね」
「これで今日は三箱。四箱目ですよね」
「うーん。原稿中はどうしてもね」
 執筆しているとタバコがさらに進むようになった。
 この時点では多いと一日四箱吸うようになっていた。

「もう仕方ないのよ。タバコをやめられないのも、ホモ好きなのもみんな自己責任なんだから」
 タバコを口からは離すが手に持ったまましゃべる詩穂理。
 下級生たちもそれぞれ煙草に火をつける。
 かつての詩穂理同様、腐女子のほうはともかく、このサークルですっかり喫煙癖がついてしまった女子たちだ。
「きっと最後は肺がんで死ぬわね」
 ブラックジョークにもならない一言だった。
「それも覚悟したわ。だったら一生タバコを楽しむわよ」
 ふと視線が写真立てに。
 生まれて初めて煙草を口にしたときの「記念写真」だ。
(もうこのころには戻れないわね。まさかここからわずかな時間で、タバコとこんな深い付き合いになるとは思わなかったわ)
 思わず苦笑い。
 そして唇にタバコを戻して「きっかけ」を作ったのぞみに視線を向ける。
(思えばこいつにあんなことされてから、タバコが手放せなくなったのよね)
 女同士の口移しの強制喫煙を思い出してさらに苦笑い。
 詩穂理にしては珍しく「こいつ」呼ばわりである。
 やはり唇を重ねた間柄ゆえか。
 誰にも見せない距離感だ。
「何? どしたの? 詩穂理。あたしの顔になんかついてる?」
 苦笑いの意味が分からずきょとんとしているのぞみ。
「なんでもないわ。遠藤さん」
 タバコを手にして返答したが相変わらずの名字呼びだ。
 「こいつ」呼ばわりは絶対に明かさない。
 そこまで近い距離と見抜かれたらキスだけじゃすまない気がしたのだ。

このキスから詩穂理はヘビースモーカーに

このイラストはOMCにって作成されました。
クリエイターのri−koさんに感謝!


「可愛い顔してるなって思ったのよ」
「ほんと? ありがと。詩穂理も美人よ。あたしたち相思相愛じゃない? 今夜どう」
 ジョークに聞こえないから恐ろしい。
「やめておくわ。私、腐女子だけどそっちの趣味はないもの」
 すっかりたくましくなった才媛である。

 喋っているうちに手にしていたタバコがだいぶ燃えてしまい、それを灰皿に押し付けて消す。
 そして気合を入れる。
「さぁ。原稿進めるわよ。男たちの愛の物語をかき上げないとね」
 そういうと、詩穂理は新しいたばこを口にして、火をつけた。



『一生喫煙者』と宣言した詩穂理だが、わずか二か月後に禁煙を決意する。
 コミックマーケット91終了後の打ち上げで起きたなぎさの妊娠発覚騒動。
 それに当てられた詩穂理たち三人はそれぞれ一念発起。
 2017年一月のうちにそれぞれの相手と結ばれた。
 だが、初めて裕生と肌を重ねて、そのキスのたびに彼の表情がやや曇るのを見て、自分の体が内臓から耐え難い臭気を放っていると感じた彼女は、きっぱりとたばこと縁を切った。

「あの猛烈なたばこへの渇望は何だったのか?」
 そう思わずにはいらないほどきっちりやめられた。
 医師による指導もあったが、やはりタバコを止めたのは裕生への愛だった。

 もっともBL趣味のほうは結婚。そして妊娠・出産しても止まらず。
 生まれた娘にそれとなく「英才教育」をしている腐女子改め貴人となった『風見詩穂理』だった。



あとがき

 この作品はコミックマーケット91の告知イラストでイマジネーションを掻き立てられて書いた『PLS〜if〜もしもみんな腐女子になっていたら」のさらにスピンオフ。
 一番激しい変化をした詩穂理を主人公としての作品です。

 人間を描く。その心理を描く。葛藤を描くのが小説なら、ヘビースモーカーの腐女子と化していくのも葛藤には違いないのでありかなと。

 嫌いなものを好きになるよりは「抵抗の少ないもの」にはまる方がわかりやすいので、幼いころから父の影響でタバコの煙は平気だったことに。

 どちらも僕自身の作品なので二次創作とは言えませんが、ちょっとした二次創作の在り方を頭に置いての作成でした。
 原典の設定は一切いじらないという鉄則で。
 たから服装とかも変化する理由付けを。
 もっとも大本が原典のPLSとは違いますが、ここは同じ原作者故ありと(笑)

 とはいえPLSとはパラレルということで。
 またもともとがコミケの告知イラストから出たということで「コミックマーケット」など実名で出してます。
『PLS』じゃ別の名前にしてるので別世界ということに。

 文芸部員たちの名前はタバコの銘柄から。
 セブンスターから七星と。
 ホープでのぞみ。
 伊藤はいらというのは「ハイライト」をひっくり返して。
 同様にラッキーストライクをひっくり返したのが打田幸。
 渡辺未来というのはメビウス(元のマイルドセブン)から。
「メビウス」だから「みらい」と(笑)

 なお原作者故ここまでできるのであり、第三者による著しい改変をされた作品を作成されるのはお断りします。

 お読みいただき、ありがとうございました。

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